Art
意識を描く
ー 生命と想像力 ー
書と絵画との境界を取り払った新進の書画家が、意識を文字化した独特のイマジネーションの世界を描き出す。
私は昨年まで、4年半にわたって日本に滞在した。初めて日本を訪れたときに、日本の自由な芸術的雰囲気に触発され、「日本の印象」と題する一文に私自身の芸術観を次のように書いた。
「芸術家のいのちと想像力には深い関係がある。イマジネーションさえあればそれはすべての規則の母となり、それがあれば誰でも衰えることのない生命をもつことができ、生き生きとした創造の原子を持つことができるのだ。画家はある特殊な記号を用いて自己の感情を表現し、人々に見せる。それが見た人々をはっきりと自己認識させるのである。これこそが真の創造であり、真の芸術といえよう」
私は8歳のときから書に親しみはじめた。父の友人に中国でも少なくなっていた象形文字を書く専門家がいて、私に太陽や月といった古代の文字を教えてくれた。その後、絵の道に入り、医大で解剖図を描いたり、美大で西洋画の洗礼も受けた。伝統的な中国の水墨画を中心に描いてきたが、自分には書的なもののほうが自分をよりよく表現できることが次第にわかってきた。墨を表現の媒体としながら、非具象から非抽象の世界へと入り、現代画の道へと転進した。先に述べた私の芸術観が養われたのも、そのころである。とくに、日本滞在中に私の絵は、文字を基本とした書のような絵に変わってきたと思う。
私の作品は、文字を媒介とした絵である。私は、そこに自らの意識を表現する。文字は、たとえば太陽や月を真似て誰かがつくった。その文字に私の意識を入れることによって、文字は私の意識の表現へと変容する。ここにあがっている「夢」にしても「気」にしても「浄」にしても、描き出されているのは見えない私の意識だ。そして、私自身の「生命(いのち)」そのものが、個々の文字の中に凝縮しているのである。
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(上・左から) 夢 1993年作 氣 1994年作 煉 1993年作 観 1993年作
(下・左から) 游 1994年作 舞 1993年作 浄 1993年作 氣 1993年作
写真:首藤幹夫
潘微(パン・ウェイ)
1962年、中国・上海市生まれ。書画家。上海紡績工業大学芸術学部卒業。書と絵を融合した独特の作風のなかで、「意味と形式の融合」を唱える。作品は書の筆一本で仕上げる。書画面のにじみは、和紙の上に水をのせる墨絵のテクニックによる。