展示や季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。
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【6月18日7時58分】
2018年7月2日
私は高槻市の富田町に住んでいます。子供の保育園の送迎があるので普段は車通勤ですが、6月18日は、夜に新人歓迎会を予定していたので電車通勤のつもりで「いってきます。」と家を出たのが7時50分過ぎ。週末に、子供と遊ぶ公園の脇道を歩いて、駅に続く大通りを曲がろうとしたところで、不意に、不思議なもの音に包まれ、足元にふにゃふにゃした感覚を覚え、すぐ側にあった道路標識の支柱を手に掴みました。地面がコンニャクのように波打って、自分はなんとか立っているのですが、道の向こう側に立つビルが、子供がイヤイヤをするように、左右に捻れて、そのたびにパラパラと化粧タイルが細かな音を立てて崩れ落ちているのがわかりました。これは、大変だ。大きな地震が起きたようだと事態が飲み込めた瞬間、小走りに足が家へ向きました。その時にはもう揺れはおさまって、周囲には、道にしゃがみ込む人、自転車で倒れた人を助け起こす人、呆然と不安気に立ち尽くす人、幸い、近くに怪我をした人はいないようでした。
扉を開けて家に入ると、食器や小物が床に散乱している中で、家族は無事で一安心。次は、小学校への登校中に地震に遭遇したはずの長男を探しに家を出て通学路へ。すぐに、登校時の見守りのボランティアさん数人に連れられて、近所の子供達がまとまって歩いて帰ってきたので、お礼を言って、子供の手を引いて家の中へ。
家族の無事が確認できたところで、家の中の割れた食器などの片付けをはじめると、白い壁に、黒い影が、サササッ! おっ、ゴキブリ、おまえも無事でよかったな。と、この時ばかりは、心底そう思えたことが忘れられません。
見知る人も、見知らぬ人も、近所のよしみで声を掛け合う中で、はげまされるという、人と人のつながりを改めて心強く思いました。そして今も、またいつ大きく揺らぐとも知れない地面の上で暮らしているのだという事実を、今回の実感とともに忘れないようにしたいものです。