展示や季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。
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【25周年に思うこと】
2018年8月1日
バイオテクノロジーを専攻しながらも、中野幹隆さん編集の雑誌を読み漁り、恥ずかしながらニューアカかぶれの学生でした。生命に注目した特集のなかで、中村桂子さんが女性として、そしてゲノムという私にとって最も身近な対象で生物全体を俯瞰する視点を提案なさり、まさにこれ、と胸が踊りました。その桂子さんが生命誌研究館という場の構想を語ったとき、これこそ理想の世界と映りました。いよいよ開館というニュースにいてもたってもいられず「仲間に入れてください」とお手紙してしまいましたが、コンビニのバイトじゃあるまいし間際に手を上げても手遅れです。「今のお仕事をがんばるのが大切です」と優しく諭してくださいました。もし万一入れたとしても、きっと膨らみすぎた理想と現実の間でぶちのめされてしまったと思いますので、よいご判断だったと感謝しています。
京都に職を得て高槻が近くなり、生命誌研究館を訪ねるようになりました。かつて想像したような場がどこにあるかは、見つかりませんでしたが、静かな空間に生きものの物語がちりばめられ、落ち着きたいとき自然と足が向きました。その頃サイエンスコミュニケーションが注目を集め始め、つまらない例えのお節介な解説が増えるなかで、生命誌の展示は、優しい語りに難しいことや最新の知識が隠れていて宝探しのような楽しみがありました。レクチャーを聞いても、体軸とかラテラルインヒビション、とか少々難解でも実際を伝えるのも生命誌らしさと思いました。
ご縁があって生命誌研究館の一員となりもう何年か過ぎました。学生時代の仲間は「夢がかなったね」と祝福し、知り合いも皆「ピッタリの仕事だね」と喜んでくれました。開館から25年、学問も科学も大きく変化しており、かつての理想はもう通用しないと感じます。科学の発見のスピードは加速し、情報が増え、知識は次々塗り替えられます。日々表現では、変化する情報から何を選ぶか悩ましいのですが、知識を提供することが目的ではなく、知識から物語を紡ぐ試みを共有することを目指しています。情報が変化しようと、物語には普遍的な知が宿ると思うのです。生命誌研究館は、生きることの拠り所となる知を求める場でありたいと、そうでなくてはと考えています。