展示や季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。
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【地に在る人の声を】
2013年3月1日
来年度、生命誌研究館は20周年です。この節目に向けて、僕は、「生命誌の映画」をつくろうということを言いました。映像でなく「映画」と言うのは、そこに思い入れがあります。今、テレビ、ネット、携帯端末などを通して、世の中に溢れている映像情報と違って、映画は、それをどう観るかという体験に深く関わる表現です。映画館に座ると、それまでの日常の雑念から離れて、さあ何が始まるかとわくわくしながら居住まいを正します。映写が始まると、見ず知らずの人々と共に暗がりの中で、大きなスクリーンに映し出されては消えていく映像の連なりを見つめ続けるという体験の中で、時に、泣いたり、笑ったりしながらさまざまに感じ、考え、そして映画を観た後の自分が変わるのがわかります。スクリーンを介して、映画を見なければ体験できなかった、自分のものとは異なる考えや出来事を体験することで、自分自身を問い直すことになるのだと思います。そうは言うものの白状すれば、最近は映画をDVDで見てしまうことも多いのですが、映画を見ている時間はなぜか深い暗がりにつながっていると感じています。
生命誌の表現は、それに出会った人が自ら深く考えることを求めています。
生命38億年の歴史について、その歴史を内にもちながら今に展開している生きものについて知り、そこから私たちの日常を考えることが大切なんだという言葉では伝えきれない実感を一つながりの映像に編集しよう。
そこで、まず仮に三つの時間軸を念頭に試行錯誤を始めました。一つは、20年の歴史に基づき、今を展開している研究館の人々にカメラを向ける。二つ目は、愛づる心を育む千年の日本文化の中の生命誌を捉える視点として、活動の拠点である京都と大阪の間にある高槻という土地にカメラを向ける。そして三つ目は、生命誌研究を通して浮かび上がる生きものがもっている38億年の時間です。この三つの時間を通して人と人がつながり生命誌を織り上げていくような映画をつくりたい。今は、そう思っています。
一つ目の試みとしては、まず自分たちにカメラを向け「生命誌マンダラ」制作の現場を、二つ目としては、2月24日に行われた「鵜殿のヨシ原」の野焼きをカメラに収めました。鵜殿は、高槻市東部の淀川河川敷に広がるヨシの群生地で、ここに生える大きく弾力に富んだヨシは、古くから雅楽の管楽器の一つ篳篥(ひちりき)の吹き口に珍重され、昭和20年頃まで宮内庁に献上されていたということです。奈良・平安の時代から続く歴史を絶やさずに、よいヨシを育てるために、地元の人々の協力により、現在は毎年野焼きが行われています。雅楽の三管は、笙の音色は「天から差し込む光」を、龍笛は「天と地の間を行き交う龍」を、篳篥は「地に在る人の声」を表すということですので、そこも生命誌につなげて表現を考えたいと思っています。