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表現スタッフ日記

展示季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【高槻には海がない】

村田英克
 私が子供の頃に暮らした土地は、相模湾に面していました。砂浜まで徒歩で数分。地震のあとには津波があるから、「もしもの時には線路の向こう側まで走って逃げろ」という関東大震災の教訓が語り伝えられていて(子供にとっては途方もない距離を走らなくてはならない!)、それくらい平らな起伏のないところでした。よく父と砂浜で投げ釣りをして、フグや小さなカワハギなど釣ったけれども食べない魚を持ち帰っては、しばらく家の水槽で飼っていました。海水は長持ちしないので、週末にはバケツをもって海へ汲みに行くのです。大変でしたが子供には、そうやって生きものを飼うのが妙に嬉しかったようです。
 なだらかな砂浜が広がる海岸の風景も、年々浸食されて砂浜が縮まり、ここ何年かでついに一変してしまいました。護岸工事で、砂浜の一部を人工の岩場にしてしまったのです。それを見て私が複雑な気持ちでいる間にも、生きものはしたたかで、どこからやってくるのでしょう。もともと砂浜にはいなかったフジツボやフナムシ、ヤドカリなどの岩場に適した磯の生きものたちが新しい環境で暮らしはじめているではありませんか。ヤドカリなんて、昔はバスに乗って、江ノ島か、真鶴のほうまでいかなければ居なかったから、子供の頃には憧れていたのにと、それを喜ぶ自分に、さらに複雑な心境です。
 私が子供の頃から親しんだ海の風景でもう一つ、なだらかな弧を描く水平線の向こうには、いつも一つの島が見えました。伊豆大島です。小学校低学年のころには、わんぱく同士が自分たちで筏をこしらえて、島まで渡っていこうという無謀な話を、子供なりに真剣に話し合って、夜も眠れないほどわくわくしたことがありました。私たちは残念ながらそれを実行しませんでした。けれども人間は何千年も、何万年も昔から、そういうことを考えていたようです。詳しくは生命誌61号をお楽しみに、WEBジャーナルでは、6月10日頃の公開予定です。

 [ 村田英克 ]

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