展示や季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。
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【宮沢賢治の「ほんたうのこと」】
私事ですが、このBRHにくることが決まったとき、最初に心に浮かんだのが宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の一節でした。車中でセロの音の声を持つ男がジョバンニにこう語ります。化学を実験して証明できたら、みんながそれを本当の事として認めてくれる、と。 そうか、私はこれから「本当の事」をみんなに伝える仕事をするのだ、とその時は単純に喜びました。けれども、ここで働いて半年、自分なりに生命誌を考える中で「本当の事」に対する確信は揺らいできました。事実だけが真実ではない、事実を伝えるだけが仕事ではない。生きものは矛盾だらけで、証明しようとしてもなかなか思い通りにはいきません。ましてや働きの一部を証明できても、それが生きていることの証しにはなりません。 ただ、そこに取り組む研究者の姿には真実があるように見えました。私の以前のフィールドである芸術の分野では、証明することは問題ではありません。能のシテが巌に花を咲かせるように、結果はどうあれ、一生懸命何かに取り組む人の姿には真実があることを誰よりも知っていたはずなのです。 今、改めて『銀河鉄道』の原文を読んでみるとこうありました。 「水は酸素と水素からできている(中略)昔はそれを水銀と硫黄でできてゐると云ったり、いろいろ議論していたのだ。みんながめいめい自分の神さまを本当の神さまだといふだらう、けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。それから僕たちの心がいいとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつかないだらう。けれども、もしおまへがほんたうに勉強して実験してちゃんとほんたうの考えと、うその考えとを分けてしまえば、その実験の方法さへきまればもう信仰と化学とおなじやうになる。」 どうやら私はてんでテキストを読み違えていたようです。語り手(即ち賢治)は続けて歴史の中の本を例に「本当の事」は絶対ではないと滔々と説き、こう結びます。 「だからおまえの実験は、このきれぎれの考えのはじめから終わりすべてにわたるようでなければいけない。それがむずかしいことなのだ。けれども、もちろんそのときだけのでもいいのだ。」 そして登場人物は「ほんたうの切符」を持って、「ほんたうのほんたうの幸福」を探す旅に出る決意をします。生命誌も今、ゲノムという「ほんたうの切符」を携えて、研究や表現を伴った未来への旅路にあるのかもしれません。 あなたが思う「本当の事」は何ですか?今度の催しで、賢治の語る「ほんたうの」何かが見えてきますように。 |
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[ 今村朋子 ] |