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表現スタッフ日記

展示季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【『生命誌』は難しい?】

2000年9月20日

 このところ、このきびしい御時世にそれでも頑張っていた科学雑誌のいくつかが廃刊になったり、なりそうだったり、と、なんともこころ寂しい状況で、このことは、経済の厳しさや情報の過多など、社会状況の影響を受けやすく、きびしくなれば真っ先に切られるという今の日本の科学状況を示しているのでしょうけれど、科学は生活の中のオプションにすぎないのか?と改めて考えてしまいます。『生命誌』は、商業雑誌としてやっているわけではないのですが、他人ごととは思われません。
 科学雑誌はなくなってしまっていいものでしょうか?
 一般人としての私自身が、ああ、科学雑誌があってよかったなあ、と思うのはどういう時かというと、一言で言えば、科学が日常の暮らしを豊かにし、楽しくすると感じられる時、ですね。いろいろな疑問を研究して解いていくことの面白さ、今まで見えなかったことが見えてくる面白さ、仕組みが明らかになって普遍的な事実がわかってくる面白さ、それが日常の暮らしの中の疑問に結びついていれば、よけいに面白い。
 しかし、専門の研究者がやっていることですから、理解するのは、難しいのは当然。ある程度の難しさを追っかけるのは、それ自体面白いけれど、それから先は行けない、という限界があります。
 科学雑誌の廃刊が続くのは、やっぱり難しいのからなのでしょうか。
 『生命誌』も難しいですか?
 科学の中でも、私たち生命誌研究館が対象にしている生命は、日常の暮らしの中でたぶん誰にとっても重要なテーマです。そのことを考える上で、現代科学が助けにならないわけはありませんよね。最近では、実生活に関連のある研究が成果を挙げ、生命の科学に対する一般の関心は高まっていると言えます。
 だのに、どうして科学雑誌は廃刊になる?
 科学は難しい、のかなあ。
 やっぱり『生命誌』も、難しいのかなあ。
 こうして、今研究の現場で面白いことを伝えたいという、雑誌を作る側と、専門外の立場でおもしろがれるかなあ、難しいかなあ、という読者の側と、いつもその間を揺れ動いているわけです。
 日々ふにゃふにゃと、面白いことを分かりやすく、という単純なテーマに呻吟しているわけですが、みなさん、『生命誌』、難しいですか?
[高木章子]

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