研究セクターのスタッフが、日常で思ったことや実験の現場の様子を紹介します。
月二回、スタッフが交替で更新しています。
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【倫理についての雑感】
私たち日本人は、「真面目に努力をすること」や「いつも誠実であること」を美徳としてきたと思う。学校でも家庭でもそう教育されてきたし、少なくとも私はそう感じている。しかし、いつからであろうか、それまでの日本人が尊重し、ある意味では崇め奉ってきたこの価値観を、日本人が軽蔑するようになった。真面目・誠実が馬鹿らしいことであると考えられるようになってきた。日本人は無宗教であると一般に言われる。無宗教であるからこそ存在し得た美徳があったのだと思う。しかしそれが崩壊することにより、倫理感・道徳観が空虚となった。日本人は不誠実や怠慢を恥ずかしいと思わなくなったし、真面目・誠実を愚かであると感じるようになった。政治家・役人・大企業・・・、どこを見ても「自分さえ良ければ」である。どんなに不誠実な恥ずべきことであっても、法律にひっかからなければ、あるいは捕まらなければ「正しい」と感じるようになった。騙される「誠実な人」が愚かであると思うようになった。バブル経済の時代に「お金絶対主義」が蔓延し、このような価値観の崩壊につながったのだろうか?それともこのような価値観の崩壊がバブル経済を呼んだのだろうか?法律は「最低限の道徳」だと言われる。全ての人の道徳観は異なるけれど、どのような道徳観に照らしても「これだけはしてはならないこと」があるとし、それを明文化したものが法律であろう。したがって、法律に適合していても倫理的に問題があることは存在する。生きものを見ていると、それぞれの生きものが固有の倫理観を持っているように感じられる。固有ではあるが、生物全体(あるいは生命体としての地球)に共通する倫理観である。大局的に見て自分たちが生きていくために必要な環境を守ろうとする意味での倫理観なのだろう。だから、人間が感じる「倫理」や「道徳」とは違っている。しかし、目先の事だけに執着し、自分たちに有利な規則を作り、それによって「法的には問題ない」としながら、自分の孫達の時代には明らかに問題があるであろうと思われる環境破壊を続けている人間よりは、動物や植物の方がよほど「倫理的」であると感じられてならない。このようなことを最近よく感じる。
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[脳の形はどうやってできるのかラボ 研究員 橋本主税] |