研究セクターのスタッフが、日常で思ったことや実験の現場の様子を紹介します。
月二回、スタッフが交替で更新しています。
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小さい頃、一回か二回無花果を食べたことがありますが、それ以来無花果にであったことがなかったので、無花果の木と葉がどんな形をしているのかもほとんど記憶の隅に消えていました。昨年から私の研究材料にイチジクとイチジクコバチが加わり、無花果の仲間は世界中に数百種もいることを初めて知りました。
今年の2月下旬、研究材料を収集するために、琉球列島の最南端の島の一つ、西表島を訪ね、数多くの野生のイチジクに出会いました。イチジクの種類ごとに葉の形、樹形の大きさ、それから枝につく“無花果”(専門的には花嚢と言います)の姿・形・色、実に多彩でした。何と言っても最後の日に出会ったアコウ (Ficus superba) の木には圧倒されました。写真にあるように何故か森の中におよそ1メートルの正方形の煉瓦の柱が2列並んでいて、その煉瓦柱の頭からアコウの木の根が放射線状に伸びて煉瓦柱を包むように地面に入り、根からまた根が出て互いに繋がり網状になって、それらの根がどんどん大きくなり高さ約3メートルの煉瓦柱はだんだん潰され、姿を消していました。植物の生きる強さと見えない力を実感させられたと同時に、イチジクが持つ“絞め殺し”の恐怖感も覚えました。後で聞いたのですが、それらの煉瓦柱が作られたのはせいぜい50年前だそうです。
無花果を食べたとき、コバチが入っていることは勿論知りませんでした。実は野生のイチジクはイチジクコバチと共生しており、コバチに花粉を運んでもらわなければ受粉ができず、種子もつくれません。一方、コバチは花粉を持ってイチジクの花嚢に入り、イチジクに受粉すると同時に、花に卵を産み付け、子供はそのイチジクの花を餌にしています。つまりイチジクの花嚢は植物の種子を作る場所と共にコバチの生きる場にもなっています。しかし、コバチがイチジクの花嚢に入るのは容易なことではありません。幾つか若い花嚢を開けてみたところ、1匹のコバチが中で歩き回り、産卵場所を探していました。そのコバチは羽がなく、触角も折れ、悲惨な姿でした。実体顕微鏡の下で探していたら、その羽は花嚢の入り口にありました。コバチはイチジクの花嚢に入るために、ほとんどその狭い入り口で羽や触角などがとれてしまいます。このように自分の体の一部を失ってまでも入っていくのは何故でしょう。答えは簡単で、子供を残すためです。子孫を残すのは生きもののもっとも基本な本性であり、多くの子孫を残せる生物種が繁栄し、子供を残す意欲がなくなれば、その生物種は絶滅に向かっていくでしょう。ヒト Homo sapiens は子供を残す意欲がまだどれくらい残っているのでしょう?
[DNAから共進化を探るラボ 研究員 蘇 智慧]
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