研究セクターのスタッフが、日常で思ったことや実験の現場の様子を紹介します。
月二回、スタッフが交替で更新しています。
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2002年4月から2階展示回廊のテーブルで高槻蝶通信を始めました。蝶研究グループの最新研究情報を補完するためです。私は小学生のころから最近まで蝶を採っていました。美しい蝶をネットに入れて、その胸を親指と人差し指に挟んだときに感ずる喜び、虫から伝わってくるリズムが増幅されたような不思議な感覚です。その感動は少年の頃から少しも変わらぬ特別なもので、ファーブルもヘルマン・ヘッセもそれを美しい言葉で描いているし、ヘッセによればギリシャの詩人(名前は失念)も書き残しているようだから、古今東西昆虫少年に共通のものなのでしょう。
数年前から採ることを撮ることに代えました。増え続ける標本箱の処理に困ったためでもありますが、レンズの窓に蝶を間近に捉えた時、本物を手にしたときと同じ喜びを味わえたからです。昨年からカメラがデジタル化したのを機会に撮るものも変えました。珍種探しをやめて身近な蝶や虫を網羅的に撮るようになったのです。もともと私は珍しさにこだわらない、なんでも良いから身の周りにいつも虫がころがっていないと落ち着かないタイプなのです。書斎の机や棚には蝶の幼虫や蛹が常時居座っていて、原稿書きを手伝ってくれます。気が散らないように一定の距離を置くようにしているのですが、ワープロを打つ手が進まないときは往復運動が激しくて、家内に笑われています。飼っているのはもちろん普通種ばかり、只今は、ジャコウアゲハ5匹、アカタテハ3匹、キチョウ3匹、ヒラタクワガタ少々というところです。
蝶撮影のフィールドはBRHの周辺では芥川の土手と地蔵院墓地とその裏山、大阪豊中市の自宅近隣の千里緑地、吹田の万博自然園と日本庭園の3ヶ所です。そんなところにと思うでしょうが、カメラで追いかけられるほど結構豊かなのです。今年になってからでも15種類、中にはミズイロオナガシジミのような少し珍しいものにも出会えました。多くはありふれたものばかりですが、被写体として普通種がいいのは、数が多く、季節ごとに様々の表情で出迎えてくれることです。最も普通種で誰も見向きもしないベニシジミが夏の朝日を浴びて驚くほど美しく、進化の妙を見事に表現してくれた瞬間を手にしたときの喜び、道頓堀に飛び込んだ若者の気持ちが分かるようでした。
普通のこと、身近にあって目立たないものに目を開いて、これまで見えていなかったり、見過ごしていたりしたものに新しい価値を発見すること、これは情報過多の世の中で個性的に生きるために個人にとっても社会にとっても大事な知恵ではないでしょうか。学問・研究のあり方にも通じることのように思います。難しいことはさておいて、身近な虫達を通して自然を知る喜びを伝えるため、通信を続けたいと思っています。大きなカメラをかかえて、杖を片手にうろうろしている白髪に出会ったら気軽に声を掛けて下さい。
[昆虫と植物の共進化ラボ JT生命誌研究館顧問 吉川 寛]
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