館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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「しかし」という詩
2016年6月1日
今年は水俣病正式認定から60年。五月初めに開かれた水俣病を考える会に参加しました。そこで改めていろいろなことを教えられましたが、その中にとても印象的な詩がありました。
「しかし」
しかし・・・と
この言葉は
絶えず私の胸の中でつぶやかれて
今まで、私の心のたった一つの拠り所だった
私の生命は、情熱は
この言葉があったからこそ
私の自信はこの言葉だった
けれども
この頃この言葉が聞こえない
胸の中で大木が倒れたように
この言葉はいつの間にか消え去った
しかし・・・と
もうこの言葉は聞こえない
しかし・・・
しかし・・・
何度もつぶやいてみるが
あのかがやかしい意欲、
あのはれやかな情熱は
もう消えてしまった
「しかし・・・」と
人々に向かって
ただ一人佇んでいながら
夕日がまさに落ちようとしても
力強く叫べたあの自信を
そうだ
私にもう一度返してくれ
1990年、環境庁企画調整局局長として水俣病和解交渉の国側責任者だった山内豊徳さんが自殺をなさったことは憶えています。この詩は山内さんのものです。御自身の気持は患者側にあるのに、組織の一員としては環境庁長官の水俣訪問を止めなければならない立場に置かれて悩まれ、自らの命を絶ってしまったのでした。とても有能で魅力的な方だったそうです。
はっきりした軸を持ち、それに合わない時は、社会の大勢がどうあろうと権力がどう動こうと、「しかし」と言って行動していらしたのに。「この頃この言葉が聞こえない」という状況になってしまった辛さの中で、絞り出すようにして書かれたのだと思うと胸苦しくなります。今も大事なところで大事なことが言えないと感じている人が少なくないような気がして、昔のことではないと思いながら読みました。