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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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考え続けるとくに難しい課題

2016年5月2日

5月の連休の3日間(3日〜5日)、東大の安田講堂で水俣病60年記念特別講演会が開かれます。5月4日に参加することになり、演題は「水俣 — 考え続けるとくに難しい課題」としました。

60年前の1956年は大学の二年生。化学科に進学しようと思い、化学に夢を託して未来を考えていた時であり、水俣病のことは知りませんでした。私がそれに眼を向けたのは1970年、江上不二夫先生から「生命科学」の構想を伺った時です。驚くような新しい考え方で、その時はまず「生命」と「科学」の組み合わせに戸惑いました。「生命」は哲学や宗教を語る時に使う言葉だと思っていましたから。でも先生のお考えは明快でした。

DNA、細胞という共通性が見えてきた今、植物、動物、微生物などと分けずに生命とはなにかを問う新しい学問をつくろうということです。ここでは、生命あるものとしての人間も対象になります(生物学は人間を研究しません)。そのうえに、このような学問からは技術を考えることができる、物理・化学だけに頼るのでなく生物に眼を向ける技術が新しい社会をつくるともおっしゃいました。その時に、水俣病は海を単なる水と見たから有機水銀を流しても問題ないと考えたのであり、海を生態系として見る生物学の生物濃縮という知識を技術に生かせなかったことが問題だと話して下さったのです。眼からウロコというのはこういう時に使う言葉です。

以来、江上先生の「生命科学」、つまり生物学の統合化、人間についても考える、社会へと眼を広げるという構想を受け継ぐことを考え続けることになります。それが「生命誌研究館」になり、今に到っています。

実は水俣病50年の時、水俣で活動している「本願の会」から話し合いへの参加を求められ、初めて水俣へ行きました。静かな海とみかんの実る山の美しい景色は今も忘れられません。水俣は美しい・・・ふしぎな気持です。

そこで、緒方正人さんというすばらしい漁師の方に出会い、たくさんのことを教えられました。緒方さんが、「生命誌」は自分の思いと重なるから話したかったのだと言って下さったのが、これまた忘れられない体験です。30年以上心の底で思ってきたことが間違っていなかったと思えて。今の社会は、水俣という課題に向き合い新しい社会を求める方向に向っていませんから、何も解決はしていません。でも、60年を機に、原点を忘れないという思いを確認し、少しづつでも動き続けることにします。

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