館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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改めてエンデを読んだら
2016年4月15日
必要があってミヒャエル・エンデを読み直しました。ゆっくり話を聞いてくれるモモは同じように広場にいるのに、そこへ話をしに来る人がいなくなってしまう「モモ」。時間泥棒の仕業です。その結果みんなイライラして町が変わっていく様子は、以前読んだ時も自分のまわりで起きていることだと思いました。
もう一つが「はてしない物語」。ファンタージエンが虚無によって消えていくこの話も実感できないわけではなかったのですが、まだお話でしたのに、今回読んで今の社会そのものを見せられているような気がしました。「虚無」というとどこか大げさですが、「空しい感じ」が拭えない世の中になっていることは確かです。
時間に追われ、空しい感じになるなんて、最低だと思うのですが、その方向にズルズル引きずられているような気がします。網引きの時、最初はよい勝負と思っていたのに、ある時引きずられ始めるとズルズル行ってしまう・・・なぜか足に力が入らなくなってしまうことがあります。まわりの人と話したり、仕事をしていると、充実感があって楽しく過ぎていく・・・それなのに、なぜか世界を戦争の方へと引っ張っていく力がはたらいていてズルズル。子どもたちの貧しさをどうにもできないままズルズル。他にもたくさんあります。悪魔や妖怪のせいではないと思うのですが、どこがどうなっているのかわかりません。私たちの思いが弱くなっていてファンタージエンが消えているからなのではないか。そんなことを考えていたら、今届いた新聞にタックスヘイブンのことが大きく書いてありました。最初はヘブンと思ったのですがヘイブン。でもそういうところを避難所、安息地にするのは本当の解決からますます遠のくだけでしょう。本格的解決のあるヘイブンを探す必要があるのに、リーダーがそんなことをしていてはいけません。