館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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【久しぶりの師の話に心地よく】
2009.9.15
理性について考えるということは、科学について考えるということと重なります。アリストテレスの論理学から始まり、先般、米国のNIH(実は最初にあげた国立予防衛生研究所の英語名はNational Institute of Healthでした)の所長になったF. コリンズが、「宗教的な信条に基づいてサイエンスの業績を評価しない」という方針を述べたというところまでの歴史を追ったその内容の豊富だったこと。新制度での教育を受けた弟子たちは、旧制高校出身者の「教養」に圧倒されたのでした。その中で、理性とその限界、理性と形而上学の関係を筋道たてて話して下さいました。今、科学を考えている者にはとても大事なことです。その中で興味深かったのが英国社会におけるヒュームの存在です。日本ではあまり知られていませんが、1739年に書かれた「人間本性論」はイギリス社会の文化そのものを作っており、なかでも科学者はヒュームの考えに依っているというのです。今の時点で考えて、この考え方が正しいとは言えないことはわかっています。しかし、このように皆で共有する基盤があり、そこから現代の思想を作っていくことが大事だというのが先生のお話でした。最近「科学と社会」とよく言われますが、このような基盤なしで、ただサイエンス・コミュニケーションなどと言うと、単に大型プロジェクトの片棒かつぎで終ることになるわけです。先生のお話の詳細は述べませんが、「論理を中心にしてできた理性には、実は確実性を与える基礎はない」「理性には限界がある。理性にできないのは決定することである」などから、理性と形而上学との二方向の相関の必要性を話される明快な話しぶりは、昔と変わりません。弟子たちは普段はたらかせていない脳を使って、85歳の先生に追いつくのにいっしょうけんめいでした。アリストテレスは「人間は考える動物である」と言ったのはよいけれど、「ここで、考えたことは正しいと考えたのが問題」という結び、そこから再出発しなさいということでしょう。 お買いものと比べても決してやさしくはない内容でしたが、久しぶりに、「あなたも人間でしょ。考えなさい」とストレートに言われたのが心地よく、その後温泉に入り、ぐっすり眠りました。 【中村桂子】 ※「ちょっと一言」へのご希望や意見等は、こちらまでお寄せ下さい。 |