館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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【生物研究について思うこと】
2009.10.1
生きているってどういうことだろう。生物研究の基本はここにあります。単なる知りたがり精神ですが、それは大げさにいえば、私とはなにか、自然とはなにかという問いであると同時に、どのように生きるかを考える基盤を持ちたいという気持にもつながります。またその成果は、医療や農業など実生活に役立つ技術につながるだろうという期待もあります。 具体的にどのようにして研究を進めるか。今中心になっているのはゲノムと細胞という切り口でしょう。私がこのことに気づいたのは25年ほど前で、そこから生命誌を始めたのですが、その後起きている大きな流れとそれへの疑問を書いてみます。 生物が細胞でできており、その中でDNA(ゲノム)がいかにはたらくかということが生命現象の基本となっていることは間違いありません。DNAはまず “遺伝子” として捉えられましたが、その一つ一つのはたらきを見ていても全体は見えて来ないことがわかってきました。いったいいくつの遺伝子があってそれがそれぞれどんなはたらきをしているのだろう。すべてを知れば、何かが見えてくるに違いない。これは機械を知りたければ部品をすべて数えあげて、それぞれのはたらきを知ればすべてがわかるだろうという考えと同じで、とても機械的です。時計をこわしてみれば時計のことがわかるだろう。子どもの時の気持と同じです。実はこわしても子どもにはよくはわからないのですが、時計を作った人には全部わかっているはずです。でも生きものはどうでしょう。時計のように作った人がいるなら、その人にはわかっているはずですが。 それはそれとして、生物研究としては、ゲノム解析が進んでいる今、部品を並べ立てるだけでなく、生きものを生かしているルールを探さなければなりません。それを知るにはどうしたらよいか。これを考えなければ先へは進めません。進み方は一つではないでしょう。たとえば、比較ゲノムという方法があります。多様な生物のゲノムを比較していくと、そこにあるルールが見えて来ます。発生過程をさまざまな生きもので比較してみることも大切です。シグナル伝達という外からの情報をとり込んではたらく一連の生命現象をシステムとして解いていく研究もずいぶん進みました。その他にもいろいろなアプローチでの研究が進められていますし、研究館でも発生・進化・生態系を組み合わせて全体を見るという考え方で研究を進めています。しかし、ここからどういう全体像が組み立てられるのかはなかなか見えてきません。あたりまえですけれど。とはいえこの辺で厳しく考えなければならないのではないかと思っています。 一方、大型プロジェクトが動いています。こちらは、どんな生物像をイメージして進められているのか、それがさっぱり見えて来ないのが気になります。とにかくデータをたくさん出せば、そこから何かが見えてくるはずだというのですが、本当でしょうか。もちろんたくさんのデータを上手に整理すればある構造が見えて来るでしょう。でもその整理が難しいというのが実状です。多額のお金があるから機械をたくさん並べて大量のデータを出すというだけでなく、そろそろ厳しく考えることが必要ではないでしょうか。 いずれにしても生物研究はかなり難しいところにいるのであり、じっくり考えることが必要な時です。ところが今の風潮は、多額の予算を手にして機械を動かしまくる人をよしとします(この多額がどんどん高くなり数十億、数百億という本当にこんなに必要なのだろうかという額になっています)。ゆっくり考えるなどということは許しません。生物学はどこへ行くのでしょう。心配なのは、年を取ったということなのかもしれないと思いながら。 【中村桂子】 ※「ちょっと一言」へのご希望や意見等は、こちらまでお寄せ下さい。 |