館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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【ちょっと新年らしくなくなってしまった新年の御挨拶】
2009.1.5
でも社会を見ると、“おめでとう”と言ってはいられない状態になっているのが気になります。研究館での日常は生きものの研究ですが、私たち一人一人が社会の一員ですから、その基盤がしっかりしていなければよい仕事はできません。 人間は生きもの、自然の一部ということを基本に考えれば、実質経済をベースにせずに、過剰にお金が動いている状態はおかしいというのは、経済の専門家でなくてもわかることでした。ですから、経済学や企業の方とお会いする機会には、「食べものをきちんとつくり、きちんと食べよう」ということこそ生活の基本と考えると、金融工学とやらで動く社会はとても危なく見えると申し上げてきました。しかし、「そんなことでこのグローバル社会に生きていけると思うのか」と一蹴されるのが常でした。そして今、そのグローバル社会なるものがなんとも怪しげな人々によって動かされていることがわかってきて唖然、そして呆然です。私には経済システムとして何をすべきかという専門的なことはわかりませんが、会社の経営があやしくなったので従業員を解雇する(正規従業員でない人から始まり、すべての人に対してその手が伸びています)という解決は、一流企業と呼ばれるところの経営者がしてはならないことだということはわかります。従業員は人間であり、その周囲には家族がいるのです。子どもも含めて。解雇という判断は人間のすることではありません。コンピュータならきっと、「リエキガヘリマシタ。ジュウギョウインヲヘラシマショウ」という答を出すに違いありません。でも経営者は人間のはずです。それなら歯を食いしばって皆でなんとかこの苦境を乗り越えようと考え、そのための知恵を絞るはずです。それをしないのは人間ではないということ。それなら会社のトップにコンピュータを置いた方がよいと思います。 年の始めにふさわしくない話になってしまいました。でも、これはどうしても許せなくて。皆が生き生き暮らせる社会であって欲しい。今年もそう願いながら、小さなことですが、大切と思う事を続けて行こうと思います。 『ハチドリのひとしずく』に「世界はわたしたちひとりひとりからできている。だから、あなたや私がちょっと変われば、世界はやっぱり、ほんのちょっと変わっていくの」とありますから。 【中村桂子】 ※「ちょっと一言」へのご希望や意見等は、こちらまでお寄せ下さい。 |