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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【思索の道はなかなか遠い】

2006.6.15 

中村桂子館長
 私の家の前の道は、表通りから一本裏へ入っており、滅多に車も通らないうえに、坂になっていて下へ降りると川辺に出るので、格好の散歩道になっています。最近、散歩−などと言うのんびりした言葉はあてはまらない、いわゆるウォーキングをする方がふえました。とくにお年を召した方が多く、お洒落なウェアやシューズでかっこよく通り過ぎていきます。高齢社会というけれど、これなら大丈夫。ほんの少数の事例で言ってはいけませんが、恐らくこれは私の近所だけのことではないだろうと思っています。すばらしいなあと、あくまでも応援団として見ていました。
 ところが、先日医師の友人の前で、最近はテニスも年に数回と数えるほどで、一日ほとんどを机の前に座って過す生活だからとなにげなく言ったら“歩きなさい”と言われてしまいました。年齢からしても生活から見ても、応援団などと言っていてはいけないんだということに気づいた次第です。
 通勤を含めての移動は原則電車ときめていますから、生活として歩いたり、階段の昇り降りをしたりはしています。まあそれでよかろうと思っていたらとんでもない。10分や15分歩いても歩数はたいしたことないんですね。一万歩歩くにはかなり努力しなければダメなんだと今頃知って、へぇと思っています。
 では歩く気になったか。これがダメなのです。目の前にボールが転がっていてそれを追いかけるというのならいくらでもやりますけれど、たゞ走りなさいとか歩きなさいと言われても・・・。医師は“歩きながら考えればよいでしょう。”そう言ってくれましたけれど、これもダメ。よく賢者は歩きながら考えると言われますね。ギリシャの時代がそうでしたし、“コペンハーゲン”という劇ではハイゼンベルグとボーアがいつも歩きながら議論していました。歩くことが頭脳を活性化するとも聞きました。京都には「哲学の道」がありますし。ところが私は道を歩くとき、周囲が気になるのです。花が咲いていればキョロキョロしてしまいますし。一番の問題はワンちゃんです。最近はウォーキングも多いけれど犬の散歩も多い。家の前の道は犬の道でもあります。なぜか私はワンちゃんから関心を持たれるのです。こちらが関心を持っていることを悟られるのかもしれませんが。散歩中のワンちゃんが挨拶に寄ってきます。飼い主に迷惑だと思うのでなるべく眼を合わせないように心がけているのですが、そのためにも犬に注意していなければならないので、考えながら歩くなどということは到底できません。こんなに挨拶されるのは、前世がイヌだったからだろうからこのつき合いはいい加減にできないと思ったりして。
 じゃあ坐っている時には、何の邪魔もなく考えられるかというとこれも怪しいので・・・。結局すばらしい考えはなかなか生れないというわけです。
 
 
 【中村桂子】


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