館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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【子供としての体験を伝える役割】
2006.6.1
小学校四年生の時に第二次世界大戦が終わったという年代ですので、お父様、お兄様などが戦地にいらしたことや、空襲、疎開生活などが共通の体験です。姉妹ばかりの中、すてきなお姉様がスマトラで働く和文タイピストに応募し、乗った軍艦と共に海に沈まれ、送られてきた小さな骨箱は空だったという文から、女性もそういう形で命を失くすことがあったのだと知りました。広島市長だったお父様を中心に家族七人幸せに暮らしていたのに、原爆で四人が亡くなり、疎開などをして離れていた子ども三人だけが残った。「私たち一家は壊滅的被害を受けたのです。」という文を読み、学校時代の明るさからは想像もできない辛さを抱えていらしたことを知りました。今という時代も、もちろんよいことばかりではありません。生きるということは苦しいことの重なりなのかもしれません。でも具体的な体験から私たちの年代がはっきり言えることは、武力での紛争解決に対するNoなのだと実感しました。しかも、子どもとしての体験を生かせるところに特徴があります。子どもたちの暮らす町に爆弾を落とす行為を、どんなことがあっても許せないという気持があるのは、あの頃私が子どもだったからなのかもしれません。人間の歴史は戦争の歴史だったとも言えるので、戦争を避ける方が戦争をするより難しいことに違いありません。でも21世紀は、その難しさに挑戦しようという決心をしてもよいのではないでしょうか。グローバルとは地球全体を見渡せるということです。日本に暮らす子どももイラクの子どもも、アフリカの子どもも見えているということです。 経済的豊かさは、子どもたちに安心して暮らせる社会を手渡すために必要なものであり、豊かな暮らしを求めることと、戦争をしない社会づくりへの挑戦とは重なり合うもののはずです。現実に対応しなければならないと言われますが、社会は人々の集まりであり、一人一人の思いで動くものです。どこからか与えられたものとして現実を見るのではなく、こんな現実を作りたいという思いで動きたい。どなたの文からもそんな気持が伝わってきました。子どもとして戦争を体験した私たちの世代が次に伝えなければならないことが滲み出ていて、よい仲間だと改めて思いました。 【中村桂子】 ※「ちょっと一言」へのご希望や意見等は、こちらまでお寄せ下さい。 |