1. トップ
  2. 語り合う
  3. 研究館より
  4. 「脱炭素」という言葉について

研究館より

中村桂子のちょっと一言

2023.09.15

「脱炭素」という言葉について

「平和」という言葉について考えましたので、次は戦争のバカバカしさを語りたいのですが、長くなりそうですので一息置き、言葉続きで「脱炭素」を考えます。

「脱炭素」という言葉を聞くたびに、あなたはいないで欲しいと言われているような気がして落ち着きません。生きものの世界は炭素の循環によって支えられています。その中に人間も存在しているわけです。そこにある循環をはずれて二酸化炭素という炭素界の異端児を大量排出した結果、気候変動が起きたからと言って、「脱炭素」はないでしょう。炭素をもっとよく知り、その循環の中で上手に生きるようにしなければいけないのに。

「脱炭素」を唱える方たちが、最近よく口にするのが「水素社会」です。「水素は燃しても水しかできません。素晴らしいでしょう」。こう言われて、これで思い切りエネルギーが使えると安心している方がいらしたら、ちょっとお待ちくださいです。水素はどこにあるのですか。空中にあると広告しているのを見ましたが、それをどうやって集めるのでしょう。もう少し実感のある話は水の電気分解です。でも、水素を得るまでにかなりのエネルギーが必要であり、使い勝手の良い形にする必要もあります。水素はそのまま生活の場に置けるものではありませんから。それのために必要なエネルギーはどこからくるのでしょう。

水力というエネルギーは、水車に始まり、水力発電などに活躍してくれていますし、これからも大切です。でも、水分子H2Oは、石油という液体として存在する炭素化合物と違って燃料として使えるものではないのではないでしょうか。水素がエネルギーの主体となるという意味での「水素社会」は存在しないように思うのです。でも今やかなり大きな声になっていますし、これからますます大きくなりそうな気がします。

大元はすべて太陽に始まる自然エネルギーですから、それと炭素の循環とで支える暮らしを組み立てるのが地球で生きる生き方であり、これまでの歴史を振り返りながらその生き方を探るのが道ではないか。生命誌から出てくる答えです。

「脱炭素」、「水素社会」。言葉はよく考えなければいけません。
 

中村桂子 (名誉館長)

名誉館長よりご挨拶