1.はじめに
Academiaではご登壇頂いた研究者の方々の、研究に対する熱意やワクワク感、これから研究者を目指す人々へのメッセージをお伝えします。
今回のシンポジウムでは、伊原さよ子さんと田上俊輔さんをお招きし、タンパク質の構造- 機能の理解を通じて見える、生きものの多様性の源泉についてプレゼンテーションとディスカッションを繰り広げました。 ここでは、後半の座談会からタンパク質を扱う第一線で活躍する2人の研究者が語る、研究との向き合い方についてのお話をお届けします。聞き手は当研究館の細胞・発生・進化研究室の小田広樹室長です。
2.座談会(伊原さよ子 × 田上俊輔 × 小田広樹)
伊原さよ子東京大学大学院農学生命科学研究科
匂い知覚の仕組みを匂い受容体を切り口として理解すべく、研究を進めております。ヒトでは匂い受容体が約400種類存在し、異なる匂いに応じて、複数の受容体が異なる応答パターンを示し、そのシグナルが脳に伝達され、知覚へと至ります。しかし、匂い受容体応答パターンと知覚との関連性についてはほとんど明らかになっていません。私たちは遺伝子の個人差を区別できるように構築したアッセイでの受容体応答パターンをもとに、匂いの感じ方との関連性を調べ、特定の匂い知覚に鍵となる受容体や、個人により感じ方の差を生み出す受容体を明らかにしようとしています。これらの研究を通じて、近年、実社会で期待が高まっている香り活用の促進に貢献したいと考えています。
田上俊輔理化学研究所生命機能科学研究センター
合成生物学・構造生物学的手法を用いて機能性生体高分子の開発に取り組んでいます。ペプチド・RNA の試験管内進化、タンパク質のX線結晶構造解析などの技術を組み合わせることで細胞の動態を制御する分子を作成し、医療や基礎生物学への応用を目指しています。さらに、同様の技術を活用して、生命誕生からのタンパク質の進化過程の再現にも挑戦しています。
目の前の結果が真実かもしれないと疑う姿勢──研究の醍醐味
小田
今日はお2人のお話を聞けるのを楽しみにしていました。まずは伊原さんから、研究を進める上で最もやりがいを感じられる部分や、研究の醍醐味について教えていただけますでしょうか?
伊原
やはり、当初立てた予想を裏付ける結果が出ると嬉しいです。例えば、匂い応答パターンを取得できる既存のアッセイ系ではまったく見えなかった応答が、感度を上げるなど独自の改良を重ねたことにより検出できた時は嬉しかったですね。他には一般的に言われていることと辻褄が合わない結果が出た時に、最初は失敗だと思っていても、何度やっても同じ結果なので「もしかしたら目の前の結果が真実かもしれない」と素直に受け入れてみたら、思わぬ展開が生まれるということもあり、そういった時にも喜びを感じます。
小田
仮説通りに、思い描いた結果が出たときですか。
伊原
仮説っていうほど大それたものではないのですが、一般的に言われていることや自分の経験則からくる直感と、自ら得たデータを突き合わせて立てた予想を裏付けるデータが出た瞬間は嬉しかったですね。こういうタイミングってそうそうないからこそ、上手くいった瞬間はすごく嬉しいですし、研究の面白さを感じます。
伊原さよ子(いはら さよこ) 東京大学
自分がすごいのではなくて、自分のサンプルがすごい
小田
田上さんはタンパク質の構造に特に想像を掻き立てながら研究をされていると思うのですが、田上さんの場合はどういうところに研究の魅力を感じています?
田上
僕の場合、最初に思った予想と、まったく違う結果になることが楽しいです。最初はこうなるのではないかという予想を頭の中に予算の申請をしたり、研究員の方と最初の予想を共有しているのですが、現実は当初の思い通りになることはなかなかないです。だからこそ、なぜか予想外の結果が出て、人間の頭であらかじめ考えていたことを上回る実験結果が得られる瞬間は研究にしかない魅力だと思います。
小田
自分が考えていたことを実験結果がはるかに超えてくることに対する楽しみですか。
田上
まさにその通りで、いつも僕は「自分がすごいのではなくて、自分のサンプルがすごい!」と思っています。自分のサンプルがすごいのは間違いないから、これからも遺伝子発現に関わるタンパク質の進化の研究を続けていきたいと思っています。
田上俊輔(たがみ しゅんすけ) 理化学研究所
実験を失敗するのが楽しくなる──うまくいかない時の心構え
小田
次の質問ですが、予想にそぐわなかった結果が出た時、次への情熱はどのように湧きあがりますか?やっぱり、学生の頃や若い頃は壁にぶつかると落胆して終わってしまうことがよくありますよね。
田上
そうですね。僕が学部4年性で研究室に配属された頃や、大学院生の頃は「俺が全ての謎を解いてやる」くらいの気持ちがあったので、思ったとおりにならないことや、失敗した時は落ち込むこともありました。
小田
研究をしていると誰もが一度は通る道ですよね。
田上
はい。そんな経験もあり、思ったとおりに行かなかったからこそ、より素晴らしい結果を得るという経験を一度してしまうと、それ以降は全然落ち込まなくなりました。それどころか今ではこれはチャンスだ!とまで思うようになりました。一回でも逆転の成功体験があると、皆さんも実験を失敗するのが楽しくなるかもしれないですね。ただ、そこに辿り着くまでは精神的になかなか辛かったなと振り返って思います。
小田
伊原さんはどうですか。
伊原
自分も失敗してしまった実験に落ち込まないメンタルは持ち合わせてはいるつもりで、「失敗」と思われた結果から真実を見出す大切さは認識しているのですが、現実問題、色々な締切やタスクがあると、その真実を探り出す労力や時間を考えてしまい、つい後回しになってしまいがちです。できることなら、時間をかけてでも「このデータには何か意味があるかもしれない」と、うまくいかなかった結果に何か別のアプローチができないか吟味していきたいです。
小田
期待通りの結果にならなかったデータのもつ可能性やその研究テーマを誰かに託す機会はありますか?
伊原
どうでしょう。特に上手くいかなかった実験のようなリスクの高いテーマは学生さんにはなかなか渡しづらいですね。自分の中で、新たな真実が隠されているのではないか?と落とし所を考えるようにしています。
田上
一般的に多くの研究員の方々は任期が決まっているので、砂漠の中から砂金を探すようなテーマを丸投げするのはやっぱり考えてしまうところがありますね。もちろんそういうテーマだからこそ、燃える人もいます。
それぞれのタンパク質構造の見え方
小田
今回のシンポジウムではタンパク質の構造がテーマでしたが、実際タンパク質の構造って目には直接見えないですよね。それぞれの研究者の頭の中には、それぞれのタンパク質の世界があると思うのですが、みなさんはどのように頭の中でタンパク質を描いていますか?
伊原
そうですね、実際のところ構造と一言で言っても活性との相関ありきです。私の場合は、匂いを感じる嗅覚受容体タンパク質が匂い分子であるリガンドに対してどのように応答するかに興味があるので、匂いを感じるという活性とリンクしている構造をイメージしたいのですが、過去の知見に結構支配されている面があるので、まっさらな状態から想像豊かに考えられてはいないのかなと思います。
小田
例えば、匂い分子のリガンドに対応していろいろな受容体の構造があると思いますが、そのあたりの対応関係などはどの程度イメージできていますか。
伊原
特に匂い分子の受容体については、ものすごく多様なんじゃないかと思っております。非常に幅広い応答性やリガンドの選択性を持つものもあれば、ごく少数のリガンドにしか応答しないものもあります。対象範囲が全く異なるということは、それらの構造も全く異なるはずなんですよね。 ただ嗅覚受容体の構造解析はリガンドと受容体のデータがそれほど蓄積していないので、それぞれにリンクした構造をイメージするのが難しいという現状があります。それが明らかになると、ものすごく面白くなるのではないかなと思います。現状AlphaFold*のような便利なソフトはありますが、こと嗅覚受容体の構造解析については、実際は安定した構造をとっていない可能性があるため一筋縄ではいかないイメージがあります。
*AlphaFold…タンパク質の3次元構造を、そのアミノ酸配列から高精度に予測できる人工知能プログラム。
小田
田上さんはどうですか。先ほどの講演は、リボソームとRNAポリメラーゼの構造の間の立体構造の間をつなぐ新しい構造を発見したお話でしたが、要素となる構造がかなり入れ替わっている気がしたんですけど。
田上
そうですね。構造がどう変換するのか考える時は、リボン図のレベルで想像していることが多いですね。あとはやっぱり立体構造だと人間の脳みそでは少し理解が難しい瞬間があるので、構造生物学ではよく使われるトポロジー図のような図に直して考えたりしますね。
小田
わかります。ただ立体構造を頭の中で考えるだけでなく、視覚化すると見えてくるものがありますよね。
田上
ただ、僕は頭の中で構造について考える瞬間もあるみたいで、以前自転車に乗って職場から帰る時に、無意識に目の前にタンパク質の立体構造が浮いていて慌ててブレーキを踏んだことがあります。タンパク質構造ばかり見ていると、こういうことが起きえますので皆様も気をつけてください。
今だから欲しいスキル・得たい知識
小田
それでは、もしもっと時間があったらやりたいと思うことや、ご自身の研究の発展に欲しいスキルや知識などはありますか。
田上
私はそういうことがすごくたくさんありまして、生物学者としてキャリアを始めたのですが、生命の起源の問題って生物学の分野だけではなく、化学や地球惑星、物理学といった非常にたくさんの分野が関わっています。生物が生まれるところなのでその一歩前の問題です。だからいろんなフィールドの分野がわかると研究にも活かせるし、何より自分が楽しいと思うんです。そういう意味では、学部1,2,3年の頃に受けていた講義をもう一回きちんとやり直して、教科書を読み直したいなと思いながら、教科書を買って積んでおります。(笑)
小田
積んだけどまだ読んでいないんですね。
田上
1冊くらいは読んだんですけど、まだたくさん積んでおります。
小田
伊原さんはいかがですか。ヒトの嗅覚となると必要な知識が多そうですが。
伊原
私は元々生化学を専門にやってきたので、進化とか生物学寄りのことを体系的には学んではいないんです。今は嗅覚のような感覚の研究をやっているので、もっと生物のことを勉強したくあります。私も教科書を読もうと思いつつ積んでおります。(笑)
小田
忙しいとついつい後回しになってしまいますよね。
伊原
はい。あとは情報系にとても疎いので、ビッグデータを扱えるスキルを身につけたいです。次々に新しい技術が出る今の世の中で、今日皆さんのお話を聞いてもっともっと勉強したいなと思いました。
研究者になるために必要な素質とは
小田
最後に会場からの質問です。皆さんが思う研究者になるための素質というものはありますか?
田上
僕は自分が研究者に向いているのかはわからないのですが、研究というのは学生時代の5-6年の短いスパンではないので、続けられるのは自分の性格や環境といった運の要素も影響すると思います。現実はやっぱり思い通りにいかないことも多いので、そういうのを丸ごと楽しめる姿勢が大事なことかなと思います。楽しめないと失敗ばかりの仕事ってどうしても辛くなっちゃうと思うので。
伊原
私は研究を続ける上で大事なことは、情熱を持ち続けられることだと思います。素質というよりもいかに持続して行動に移し、いかに諦めずに続けられるかが重要で、そういう人が向いているのかなと思います。
3.企画・進行役を務めた小田広樹室長より
小田広樹 室長(細胞・発生・進化研究室)
有史以前から人類文明は石器、青銅、鉄器、最近では光ファイバーや導電性ポリマーといった素材を手にいれることによって、発展を遂げてきました。人類文明で新たな素材が出現すると、新しい使い道や多様性が生じたように、我々生きものの世界にも同じことが起きているのだと考えました。例えば、細胞の新たな構造成分や酵素・シグナル・成分・輸送や分配などのタンパク質といった素材の出現によって、生きものは多くの役割や能力を得て多様化してきました。そこで生きものの歴史や進化を、もっと素材に注目して考えられないだろうかと思い、今回のシンポジウムを企画しました。皆さまにとって素材から生きものの進化を考える機会に寄与できればと考えています。