展示や季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。
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【2つの時間】
2014年11月4日
この時期になるといつも思い出すのは、京都北山にある城丹尾根。周山街道をのんびりと走るバスに揺られ、京北町にある山国バス停に降り立った。そこから田んぼ道をあるいて登山口に取り付き、杉林を巻くように進んで到着するのは茶呑峠。名の通り、かつてはこの峠を馬など牽いて越える旅人が、腰を下ろして一服の茶をすすった場所だろう。
そこから急勾配を登って辿り着くのは天道山。さらに小一時間ほど進むと飯盛山のピークが現れる。さて、そこからナベクロ峠までの数時間の行程が、城丹尾根と呼ばれる京北町と京都市を分かつ尾根。そこに差し掛かった僕たちは、静かだけれども、植物の移り変わりを「いま」見ているように感じられるその場所に圧倒された。美しい姿ですくっと立つブナとミズナラ、朽ち果てそうになっている倒木、それを覆い尽くすように降り積もった枯れ葉。ほとんど人が通っていないだろうその場所を、僕たちは輪廻転生の森と名付けた。
先日、姫路市立美術館まで見に行った米田知子さんの写真展『暗なきところで逢えれば』は、その輪廻転生の森を彷彿とさせるものだった。整然と定められた構図は、観るものに安心感を与え、だからこそ観るものの発想を自由にする。写真はある瞬間を切り取ったものであるにも関わらず、そこには何かしらの移り変わりを、「いま」見ているように錯覚させる何かがあった。
生きものには、生まれて死んで行く個体の時間と、その個体が連綿とつながる進化の時間がある。スケールの違う2つの時間を、「いま」見ているように、止まっている作品にも与えたいと思う。