展示や季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。
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【ヒトのいない風景】
2014年10月1日
夏休みにオーストラリアを旅行しました。オーストラリアの大半は砂漠といわれますが、サハラ砂漠のような砂丘の広がる砂漠とは少し違います。ケアンズからジョージタウンへのバスの車窓から見えるのは、疎らに生えるユーカリとほとんど草のない大地に蟻塚が立ち並ぶ不思議な風景です。水が貴重品のこのあたりではウシの放牧が行われていますが、人家はほとんど見かけません。泊まったのはまるで映画のバグダット・カフェのような砂漠の一軒家のモーテル。蛇口からはとても飲めそうにはない赤い水がでましたが、水をもとめてかバスルームにはカエルやヤモリが訪ねてきました。
市街地で暮らす私の眼には不思議に見えた風景ですが、ヒトがいなければあたりまえなのでしょう。シロアリは小さなからだで巨大な蟻塚を築き独特の景観を作っていますが、むしろヒトが出現して建物を次々に建てていることでどれだけ地球の景観が変わってしまったのだろうと想像しました。例えば中生代の恐竜がいた時代は、数メートルの高さの生きものが大地を揺るがして闊歩する世界だったはずですが、ヒトはそれを超える巨大な人工物を作ります。蟻塚はその土地に合った生き方から生まれた形でしょうが、ヒトはそんなことはお構いなしにもとあった風景を壊し、もともといた生きものを追いやって建物を建てます。ヒトが森を切り開き、分断したために集団の交流が少なくなり近親交配が進んで減少している生きものは数しれません。
砂漠の水場、オアシスに向かうとさまざまな鳥たちが集まっています。カモやシギは一緒に過ごしていますが、トビが来れば逃げるように飛び立つものもいますし、オウムの群が大声で割り込んだりします。それでも違う種同士、日々譲り合って棲み分けて暮らしているのでしょう。私たちの祖先はいつからそういう暮らしをやめてしまったのかとなんだか残念になりました。
オリンピックを目指して巨大な競技場を作ろうとしているようですが、大きな建物を作るなんてシロアリだってできること。ヒトしかいない巨大建造物が建ち並ぶ風景は、他の生きものからすると荒涼とした砂漠にみえるかもしれません。生きものの豊かなオアシスに学べないものかと思います。
ユーカリと蟻塚の景色。牛はただ放し飼いに。
砂漠の宝石、オアシスは鳥たちでとてもにぎやか。