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表現スタッフ日記

展示季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。

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父と選挙と具体性

2013年8月1日

藤井文彦

6月で88歳になった父は、今年も屋根より高い樹に登って剪定をしています。ときどき樹の上で足がつるそうで、それは熱中症の兆候のようですが、そんな時は無理をせずに樹から降りてくるそうです。今年はあまりにも辛そうにしているので、母が見かねて「もうやめたら」とたびたび口うるさく言っているそうですが、頑固な父は一向に辞める気配がありません。さてそんな父は選挙にはあまり興味が無いようですが、先週末(7/21)は炎天下の中、自転車で遠く離れた投票場に向かったそうです。もう明晰とは言えない老いた頭で何かを思ったのでしょう。

これまで以上に僕も先日の選挙では候補者の主張に耳を傾けました。その時に思ったのは、候補者間の具体性の違いでした。熟練の候補者は制度の細かな問題に及んで話を進めていましたが、政治の世界に足を踏み入れて半年にも満たない候補者は、世の中をどちらの方向に進ませたいのかに熱弁を振るっていました。熟練の候補者の言葉には確かに狭義の具体性はありましたが、少なくとも僕にはどちらに進みたいのか分かりませんでしたし、わざと分からないように言っているとしか思えませんでした。一方、政治の経験がほとんどない候補者に対しては具体性が無いと多くの人は批難していましたが、少なくとも僕が話を聴いた候補者は、自分の生活や周りの人たちとの関係をもとに考えた地に足の着いた具体性と方向性がありました。

山に入った時に行き当たりばったりで進む人はまずいません。辿り着きたい目的地があってそこに行くために具体的なルートを選択します。もちろんルート選択は熟練度によって違いますが、どこに辿り着くのか分からない中で足下のみを見ながら具体性を考えても、その一歩は何のためなのか分かりませんし遭難への第一歩です。普段の生活の中で辿り着きたい場所を一致させるのはなかなか難しいことですが、極論すればそこのみが一生懸命に議論する点だと思います。何をやってもどこかへ辿り着きますが、仕事を進めて行く上で改めて注意しなければならないと思っていることです。

[ 藤井文彦 ]

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