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表現スタッフ日記

展示季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【研究者の机を描く】

村田英克
 BRHカードの「from LAB」というコーナーで研究者の机を描いている。
 絵を描くということは、三次元の物事を二次元の平面上に、描く過程を通して何かを写しとることだと思われる。一体何を? たとえばここでの主題となっている“机”は、木なり鉄なりの質を伴った実体として空間の中にある。光が表面に反射して見る者の網膜に像を結ぶ(と言われているがあんまり意識していないし、それは本当に見ることのできる像なのだろうか)。視覚像を遠近法に従って投影すれば良いのか。そうではない。視覚からの情報に伴い、経験的に知っている触覚、嗅覚などのさまざまな連想がはたらく。それに “机”を描きたいわけではなかった。“机”(とその周囲)を通して研究者の姿、研究そのもの、そして生命誌を伝えられないかというのが、そもそもの目的でした。だから空間的な描写に腐心しているのでないのはご覧の通り。
 描かれた研究者の机は、最後には、絵という視覚的な情報に落とし込まれるのだけれど、写しとる過程で、研究者の“日常”として現場に存在している“時間”をどれだけ凝縮できるかが大切なのだと思う。その机の持ち主が何を考え、何を見(観)たいと願い、そのために日々どんな工夫をしているか。毎回、描くための机を見せてもらいながら(抜き打ちで行かないと妙にきれいに片づけられてしまう)、机の持ち主の話を聞いていると、やっぱり人間は、決して頭だけで考えるのではなく、身体で考えているのだなあと思う。毎日の時間を過しているその人の考えが、日常の空間の中に配置されている。机が物語る時間にはいろいろある。今解析中のデータを効率よくまとめるために、“あるものでどう上手にやりくりするか”という工夫もあれば、「この机は昔、ある大先生の机だった」というような“世代を越えた歴史”もある。やはり研究者も生きもの、そして生きものは時間を紡ぐもの。最近は、皆コンピュータが当たり前なので、机上に置かれた画面の中の“デスクトップ”というどうも絵にならない二重のメタファーに悩みながらも、いろいろ聞き出し、感じ入りながら描いていると、どう一枚に収め、どこに彩色するかなど自ずとできてくる。
 そんな風に、こちらも身体を動かしながら考えを整理している間に、ここに述べたプロセスの一体どこで区切って、専門のイラストレータにたのめばよいのか。このコーナーを始めた時から踏ん切りがつかず、毎回、自分で描いております。


 [ 村田英克 ]

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