展示や季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。
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【血液型と半七親分】
清代中期(18世紀)の怪談集の一編に「滴血(てきけつ)」というお話があります。滴血とは、親身の者(親と子など)の血を一つの器にそそぎ、それが一つに融け合えば確かに本当の血のつながりがあると鑑定する方法で、「遠い漢代から伝えられている」のだそうです。しかし当時すでにこの方法は「古法」とみられており、「冬の寒い時に、その器(うつわ)を冷やして血をそそぐか、あるいは夏の暑いときに、塩と酢をもってその器を拭いた上で血をそそぐと、いずれもその血が別々に凝結して一つに寄り合わない。そういう特殊の場合がいろいろあるから、迂闊に滴血などを信ずるのは危険である」との注意が書かれています。この話では、財産争いをする兄弟が、自分の子どもに資産を譲る権利があることを証明するために滴血が行われます。正当な権利を持つ兄の方は自分と子どもの親子関係が証明され、横取りしようとした弟の方は自分と子どもの血が混じり合わないから滴血そのものが信用できないとごねるのですが、結果的に兄が勝訴となります。ただし、話の中では本当に滴血が信頼に足るものかどうかについては明言されていません。 ここまで読まれた方はお察しの通り、滴血とはつまり血液型判定と考えられます。低温下では血餅が分離し、また「塩と酢」というのは血液の状態が変化して血塊が生じやすくなると思われますので、このような場合の滴血が信用できないというのももっともだと言えます。さらに、親子でも血液型が異なることは当然ありますから、滴血が果たして適法か迷信かの区別は科挙に合格した秀才にも解けない問題だったのでしょう。訳した綺堂もあまり信じられなかったのか、「半七親分が滴血を使って難事件を解決」という話は書かなかったようです。 ちなみにABO式血液型の発見は1900年、血液型がメンデル遺伝に従うことがわかったのは1909年のこと。おかげで私たちは「滴血」の有効性に悩む必要はありません。しかし、取り出した血液の様子をよく観察し、単純な法則性はないと気づきつつ、さりとて全くの無意味として捨て去ることなくこの現象を考え続けた古代中国の人は、やはり偉かったのだと思いました。 |
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[ 山岸 敦 ] |