展示や季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。
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【野鳥を飼う文化】
風雨の間、飲まず食わずだったに違いない雛(まだ眼も開いていない)に、取りあえず、きな粉を水で練って食べさせる。姿も鳴き声も愛されて、メジロの飼育の歴史は古く、擂餌(すりえ)という穀類などの粉末を水で練って与える餌が開発されている(メジロに限らず小鳥に適する日本独自の餌で、起源は鎌倉時代とか!)。市販の調合を見ると<純米粉、純米糠、純大豆粉、純淡水魚粉>とある。野生ではクモや小昆虫、花の蜜や果物などを食べるメジロに、魚粉とは大胆な!飼育の確立までの経験と試行錯誤の歴史を考えずにはいられない。 さて、雛鳥のその後を語るのは胸が痛い。巣を放棄される前に親に返さねばと、少し風が弱まったところで、親鳥も近くにいたので巣に戻し、再びの風雨も押して自然に任せることにしたのだが、翌朝巣は空だった。こんなことなら、と晴れ上がった青空も腹立たしく、巣から落ちた雛は今後、絶対拾って返すものかと心に決めた。とは言うものの、実際5匹飼うには一日つきっきりの餌やりだ。世話も空しく死なせることもあるし、上手に野生に戻すのがまた至難の業。野鳥を飼うのは違法でもある(鳥獣保護法により、メジロ、ホオジロに限り、役所で許可を得られれば一世帯にどちらか1羽は飼ってもよいらしい)。主に狩猟から野鳥を守るためだが、野鳥飼育の歴史を考えれば、今問題になるような密猟や乱獲とは無縁の、身近な鳥と関わる文化があったのだと思う。昆虫採集の是非も問われる現代、もちろん観察だけでもすばらしいが、関わりが薄れることなく豊かな付き合いをできないものか。 先日、伝統園芸の研究家、また幻の植物を探し歩くプラントハンターでもある荻巣樹徳さんの研究所に伺った。お話によると、「親木の下に芽生えたものは育たないから、それは採っても構わない」「乱獲を防ぐにはその商品価値を下げれば良いので栽培で増やしている」とのこと。園芸文化の技術に加え、実際の生息状況を見て得た膨大な知識経験があって、適切な採集や栽培の成功がある。 鳥に限らず、生きもののことをよく知ることで、生きものとの関わりが上手くなり、それがさらに深く知ることに繋がる。身近な生きものとの関わりをめぐって、楽しみ、困り、また悲しみながら、そういう循環を大切にしたいと思う。 P.S. 現在は巣に返しそびれた一羽が、今のところ元気に育っています。 [北地直子] |