展示や季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。
バックナンバー
【お茶のお作法】
現在100歳も越えられ、変わらずお元気で指導を続けておられる先生から、当時、1冊の本をいただきました。『生物學概説』(確かそんな感じの題だったと思います)。お稽古に来ては、毎回床の間のお茶花を名前を教わりながら写生し、お茶杓の御銘にはお客様も首をかしげるような鳥や虫の名前を連発する私でしたので、この子は生きものが好きなのだなと認められたらしく、というのも、先生は若い頃生物学を教えておられたのです。たぶんその頃の本をひっぱりだしてきてくださったのでしょう。見た目も仮名遣いも古めかしい本で、小学生には大変難しかったので、題名も内容も挿し絵もさっぱり記憶にないのですが、子供心には「学問の本だ」という気がして、目標として本棚の一番上に飾っていました。 ある時は、お茶をいただくのに、まず両手でさし頂いて、1回2回と左手のひらの上でお茶腕を回しますが、見様見まねで何気なくやっていたところ、「それは誰に感謝しているの?」と尋ねられました。私は答えられず、先生がおっしゃるには、「お茶を点ててくれた人には、さっき「お点前頂戴いたします」って言いましたね。でもお茶がここまで届くには、運んでくれた人、作ってくれた人、それから…」小学生の私の空想は、お茶の包みが船に乗り、トラックに乗り、運ばれてきた旅を遡って、見知らぬお茶工場、宇治の茶畑まで到着しました。そしてそして、お茶の葉っぱが太陽の光と雨を受け、光合成する様子まで思いをいたして、その仕組みのすごさに驚くのが中学生の私。そこにふりかかる農薬に疑問をもつ高校生の私。科学を諦めて芸術へ転向する大学生の私。そして今、こんな仕事をしていますと先生に報告したとき、「あの時私があんな本をあげたからね…」と笑われたのですが、本当にそうかもしれないなと、時々思います。 小さな世界のことも、大きな長い時間のことも、生きものを知るたびに、より多くのものに深く感謝できるようになる気がします。そのような素晴らしい研究を、皆で共有できれば嬉しいと思います。というところで目下個人的に目論んでいるのが「光合成茶会」です。 [北地直子] |