1. トップ
  2. 語り合う
  3. 言語の発達と社会性 II

進化研究を覗く

顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。

バックナンバー

言語の発達と社会性 II

2017年9月1日

前回から続いて、言語と社会性について考える。

前回、言語と社会性の発達が遅れ、反復行動を示す自閉症スペクトラム(ASD)を例に、他人の心を理解する能力theory of mind(ToM)に代表される社会性が言語能力に大きく影響し、またこの能力が生まれた時から脳が本能的に持っている能動的に外界へと経験を求める力動を条件にしている可能性について考察した。外界へと積極的に新しい経験を求める本能や情動は(モティベーションと言っていいかもしれない)、フロイトが自我形成に関わる力動として定義した「対象備給」に相当する。フロイトが考えたように、自我は最初から備わっているわけではない。誕生時に備わった最初の自我基盤を、能動的に得られる新しい経験によって書き換えることで形成される。従って、得られる経験の違いは自我の傾向に大きく影響するし、自我形成過程で経験を求める回路の一部が閉ざされてしまうと、形成される自我の安定性や構造は大きく変化する。

以前述べたように(意識と無意識*http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2017/post_000007.html)、すべての経験を自我の書き換えに使えるわけではない。毎日体験する膨大な神経インプットの中からほんの一部が選択され(意識過程)、それが自我の書き換えに使われる。この時どの経験を自我の書き換えに利用するかを選択するフィルターの一部は、書き換えられつつある自我そのものである点が重要で、この結果、初期に形成された自我の持つ傾向は、成長とともに増幅されていく。

ASDは外界へ向く力動の低下で、外界とのコミュニケーションに関わる多くのチャンネルが細くなっていると考えられるが、前回述べたように音楽を介する感情の表現や理解は正常以上に保たれている。このことは、自我形成に必要な外界とのコミュニケーションのためのチャンネルは多様で、太さも個人差が大きい。それぞれのチャンネルの総和が幼児期の個性を作る重要な要素として働くが、このチャンネルの種類や太さが遺伝的な原因で特定の偏りを示す場合、形成された自我に共通の特徴が現れることになる。

その一つの典型が、一見自閉症とは全く反対の症状を示す病気ウイリアムズ症候群(WS)に見られる。この病気は1961年にニュージーランドのWilliams医師らにより、大動脈弁の上部の狭窄と特徴的な行動異常と知能障害を示す発生異常としてCirculation誌に発表された(図1A)。


図1 A) Williams症候群が初めて疾患として定義されたCirculation の論文。 B) Creative Commonsとして登録されているNikitina等がActa Naturaeに掲載した総説論文。写真は全てこの論文から転載している。右端には、WSの子供による手本になる絵の模写を示している。一つ一つのアイテムは認識できても、その空間的位置関係の理解が失われているのがわかる。(Nikitina et al, Acta Naturae, 6,9, 2014)

無味乾燥な医学的表現で症状を列挙すると、1)時に致死的な大動脈の狭窄、2)特徴的な容貌、3)高カルシウム血症、などを中心とする身体的な異常と、精神的異常として、1)空間的バランスの認識異常(図1:簡単な絵もうまくコピーできない)、2)IQ50程度の知能障害、3)高い社会性、4)怒りを理解する力の低下、4)正常以上のボキャブラリーや多弁、などが主症状として挙げられる。身体症状はもっと多彩で、例えば糖尿病の発症も多くのケースで見られる。後で述べるが、この多彩な症状はWSが7番染色体の大きな欠損により発症するためだ。ただ、ここでは精神症状に絞って見ていく。

残念ながら私も症例を見た経験がないので、生き生きと表現するのは難しいが、WSの行動についてもう少しわかりやすく説明してみよう。図1Bはロシアの研究者の総説から転載したWSの子供たちの写真だが、これを見ると,年齢にかかわらず皆楽しそうに笑っている。この人懐っこさは外見だけではない。「誰にも愛され、誰もを愛し、チャーミングな性格」と表現されるように、見知らぬ相手でもじっと目を見つめ、近くに寄って話しかける。同じ総説によると「In WS, the gregarious personality is characterized by a consistent increased interest and approach to strangers, …」と表現されており、「見知らぬ人(もの)に対して興味を持ち続け、近づこうとする」性質を持っている。これは外界からの経験を求める力動が低下したASDのまるで逆で、WSの子供は一般の子供以上に、外部と関わろうとする強い力動が発達していることがわかる。言い換えると、外部へのチャンネルが太いと言える。

この積極性はかなり早い時期から見られることが報告されているが、WSの子供が相手の怒りを理解できないことは、WSを理解するヒントになる。ASDの場合最初から人を避けるので問題はないが、WSの人懐っこい性質は無防備と裏腹で、危険を伴う。このことから、経験を求めて外へ向く本能は、ある程度抑制されており、ASDの場合はそれが強すぎるが、逆にWSではその抑制がはずれれており、人懐っこい性格につながっているのかもしれない。正しいかどうかはわからないが、わかりやすく理解するために、ASDの子供で細っているチャンネルの少なくとも一部がWSでは太くなっていると勝手に考えることにしている。

しかしこの考え方がまんざら間違っていないことが、脳イメージングによる研究で示されている。私たちの行動のモチベーションに関わる脳回路として、前頭前皮質と辺縁系の扁桃体、腹側線条体を結ぶ、褒美のシグナルを発生させ満足させる回路が存在し、感情と感覚や行動を支配している。なかでも扁桃体は表情から感情を理解する過程に関わる領域で、例えば見つめ合う行動にこの領域は必要だ。ただ、小さな扁桃体にも13の核が存在し、ASDやWSの行動を扁桃体全体の活動状況と照らし合わせることは難しい。それでも、ASDでは扁桃体は大きくなって、興奮しやすいことが知られている。一方、怒りの症状に対して普通なら反応する扁桃体が、WSではほとんど活性化されない。想像をたくましくすれば、扁桃体の一部の活動が、外への動機づけのチャンネルの太さの調節に関わっており、ASDでは活性が高いため抑制され、一方WSでは活性が低いため抑制が効かないと考えることもできる。

ただ、これは外に向いたチャンネルのほんの一部だ。例えば、WSの子供は音楽能力が優れていることが知られており、この点ではASDと同じだ。このように、外部に向いたチャンネルの中には、音楽を介する感情のチャンネルのように、WS、ASD共通に太くなっているものもある。一方、前回議論したToMはASDだけでなく、これほど人懐っこいWSでも形成が遅れている。このことから、外部に向けられたチャンネルがToMの発達を決めるのではないこともわかる。

社会性の生物学の対象としてWSに注目が集まっているのは、7番目の染色体上の、7q11.23に構造的に非対立性組み替えが起こりやすい領域があり、ほぼ全てのWS症例でこの部分の欠損が見られるからで、欠損遺伝子の機能解析から社会性を分子生物学的に明らかにできるのではと期待されてきた。WSではほぼ例外なくこの領域の欠損があるが、WSには遺伝性はなく、両親は遺伝的にも正常だ。生殖細胞の発生過程や極めて初期の胚に新たに欠損が起こった結果症状が生まれると考えられている。


図2:7q11.23上にあるWSで欠損する領域(破線で欠損部分を示している)と、対応するマウスゲノム領域。NIkitinaの総説から転載。

WSのほぼ全てのケースで同じ欠損が見られとしても、実際には人懐っこい性格などの社会性を遺伝子から説明するのは簡単ではない。というのもWSでは欠損は片方の染色体だけに限局しており、さらに、欠損場所には26-28種類の遺伝子がコードされている(図2)。すなわち症状を理解するためには、遺伝子発現量の違いで起こる細胞レベルの変化をとらえ、それを脳の複雑な機能と対応づけるという難しい課題を克服する必要がある。

WSの遺伝異常を症状と関連づける目的で現在行われている研究の方向性の一つは、各遺伝子のノックアウトマウスの作成で、図3に示す様に、WSと関連がありそうな形質を示すマウスが作成されている。


図3 WSで欠損する遺伝子のマウスでの機能。

図3に示した様に、FZD9、STX1A、LIMK1,CLIP2、GTF2iなどが欠損すると、確かに様々な脳高次機能の異常が認められる。特にLIMK1, CLIP2では明確な空間認識の異常が検出されており、WSの症状のモデルになる可能性がある。また、FDZ9ノックアウトマウスでも海馬の細胞死の亢進、癲癇発作の閾値の低下とともに、やはり空間認識障害が報告されている。しかしほとんどの研究は遺伝子が完全に欠損したマウスの解析で、WSの様に片方の染色体だけで遺伝子が欠損するhemizygousマウスの解析はほとんど行われていない。おそらく、明確な異常が検出できないと考えられる。しかし、hemizygousでも変異が組み合わさった場合は、十分異常が検出できる可能性は大きく、今後の研究が待たれる。一方完全欠損が胎生致死のGTF2iについては、hemizygousマウスの行動解析が行われており、WSと同じで、初めて出会ったマウスに対しても警戒心が低下していることが報告されている。

以上の様にノックアウトマウスの解析からWSの症状理解のためのヒントが得られることは間違いないが、WSの多彩な症状をマウスの解析結果のみから推察することは難しい。そこでもう一つの方向として、WSで欠損する大きな領域の中の一部だけが欠損したWS症例を探す努力が並行して行われている。例えば、図2で示した領域のうち、STX1を残してそれより右側の遺伝子だけが欠損している場合でも、完全なWS症状を示すことが報告されており、WSにはSTX1より左側の遺伝子はあまり重要な役割を持っていないことが示された。また、LIMKは欠損していてもGTF2iが欠損しないケースでは、心臓の奇形と空間認識異常は見られるが、精神発達は正常であることが報告されている。この様に、不十分とはいえ少しづつ遺伝子と症状との対応が明らかになってきており、これまでの研究を総合すると、GTF2iに近い領域がWSの精神症状に深く関わると言っていいだろう。

そんな矢先、驚くべき論文がプリンストン大学からScience Advances7月号に発表された。この研究では、オオカミから犬へと家畜化が進む過程で獲得される人間に対する高い社会性をもたらせたゲノム変化の特定が試みられた。そして驚くことに、WSで欠損するGTF2iとその隣のGTFIRD1のコーディング領域の変異による分子の構造変化がこの社交性を説明することが示された。


図4:犬とオオカミを比べて、犬の社交性に関わる遺伝子がWSで欠損している遺伝子であることを示した論文(vonHolt et al, Science Advances e1700398, 2017)。

この研究も合わせて考えると、社交性に関わる脳回路形成にGTF2iとその近くの領域はますます重要になったと結論できる。

最後にWSの言語発達についてまとめておく。発表当初から、WSの多弁を含む高い言語能力に言語学者は大きな興味を抱いてきた。この結果、言語発達や起源についての著作には必ずWSの言語能力が記載される様になっている。ただ、研究が進むとWSには多くの精神発達障害が重なっており、言語能力についてもこれらの障害の影響が大きく、単純な枠組みで理解することは難しいことがわかってきた。このことを認識した上で、あえて単純化してWSの言語能力をまとめてみると次の様になるだろう。

  1. 1)言葉の理解や発達は遅れる(これはIQが60前後であることを考えると当然と思える)。
  2. 2)赤ちゃん言葉やジェスチャーなど、外へ働きかける行動の発達は正常で遅れはない。
  3. 3)遅れて始まっても、言語の発達は急速で、特に流暢に言葉を使う。
  4. 4)ボキャブラリー、特に感覚と直接対応できる単語の記憶は普通の子供より優れている。
  5. 5)話し言葉の文法についてはおおよそ一般児と同じだが、ラテン系の屈折語で単語の性の区別が上手くできないなど、苦手な部分も存在する。

これらの結果は、知能の発達が遅れていても、言語を正常に獲得できること、さらにWSのように外界とコミュニケーションを取ろうとするモチベーションが高いと、一般児を凌駕する言語能力が獲得できることを示している。言い換えると、言語獲得には知能より高い社交性がより重要であることがわかる。

言語の2重構造を思い出してもらえば、知能の発達が遅れていても、言語が十分発達できることが理解できる。言語は私たちの脳から生まれてきたものだが、子供が言語を獲得するには、まず社会で維持されている言語にアクセスし、それを学ばなければならない。すなわち総体としての言語も、新しい社会のメンバーに使用されて初めて発展するため、必然的に子供が学びやすい構造を発展させてきた。このおかげで知能の発達が遅れていても、強い外部へのモチベーションを持つWSは高い言語能力を獲得できる。もちろんこのシナリオは私の想像でしかないが、ASDとWSの研究を通して言語の発生に必要な要因が明らかになると期待できる。

次回は言語と社会性の最後として、では社会で共通の言語部分が存在しないとき、人間は言語を獲得するのかを考えてみる。

[ 西川 伸一 ]

進化研究を覗く最新号へ