1. トップ
  2. 語り合う
  3. 言語・社会性・Theory of Mind

進化研究を覗く

顧問の西川伸一を中心に館員が、今進化研究がどのようにおこなわれているかを紹介していきます。進化研究とは何をすることなのか? 歴史的背景も含めお話しします。

バックナンバー

言語・社会性・Theory of Mind

2017年8月15日

今回から2回にわたって言語発達と社会性について考える。

何歳ぐらいから私たちは周りの人の顔色を伺って過ごすようになるのだろうか?今現役を退いて、部屋でゆっくり論文を読んだり、原稿を書いたりして、あまり人とは接しない時間を持てるようになると、自分が人の顔色を常に伺っていることを実感する。一人の時間が終わると、家族や友人は言うに及ばず、街中で多くの見知らぬ人と出会う。行きすがりの人について一々深い空想を巡らせるほど偏執狂ではないが、顔をチラッと見て「急に襲ってはこないか」など無意識に判断している。ましてや満員電車に乗ろうものなら大変だ。周りの人をそれとなく窺い、争いが起こらないように、あるいは痴漢と間違えられないよう、最適のポジションを探してしまう。

家族ならある程度心が読めるが、赤の他人の心の中などほとんど何もわからないことがわかっているのに、人間は他人が何を考えているのかを知ろうと、多くの努力を払っている。程度の差はあれ、このように日々他人の心を読もうと常に努力するのは私だけではないはずだ。というのも今の世の中では、このような意図が欠けている人は、病気だと診断される。例えば自閉症スペクトラムと診断された人たちがその典型だ。

現在では、自閉症スペクトラムは病気ではなく脳の多様性として捉えることが普通になっている。この観点に立つと、自閉症スペクトラムの人は、他人の心を読もうとする悲しい人間の習性から解放された人たちということができる。ただ、問題は自閉症の人たちの多くが、言語障害など様々な社会への適応障害を同時に併発している点だ。従って、脳の多様性だと放っておくことはできず、社会と折り合いをつけるためのプログラムが用意される。

プログラムの多くは、できるだけ早期に診断して、脳回路がフレキシブルな発達期のうちに介入して言語や社会性を回復させるよう計画されている。そこで、フロイトをもう一度思い出しながら、乳児の脳の発達を見てみよう。

脳科学的な表現を用いて言い換えると、フロイトは自我を、生まれたばかりの脳が持っている自己基盤が、体験により書き換えられた結果と考え、特に幼児期の体験の重要性を強調した(第78話)。もちろん脳の自己の書き換えは一生を通じて行われており、自我の形成へ影響を持つ体験は幼児期に限らない(PTSD:心的外傷性ストレス障害はその典型だ)。ただ、幼児期にインプットされる体験は、外界からのインプットをほとんど受けたことのない脳に対する最初の体験である点、またインプットの種類が限られている(と私たちは思っており)点で、成長後の体験と比べるとそのインパクトは相対的に大きい。逆に言うと、体験を重ね、書き換えが進むと、体験のインパクトは低下するため、一般的な体験の自我形成への影響は低下する。

繰り返すが、感覚器の発達していない乳児の体験は、個体間での違いが少ない。事実生後2−4ヶ月まで、耳は聞こえても成人の感覚入力の8割を占める視力はほとんどないと考えていい。当然母親の顔をはっきり認識はできない。このため、最初の経験は、音、匂い、そして母親との直接コンタクト、それも乳房に対する皮膚感覚や味を介して入ってくる。インパクトの大きい最初の体験は、個体間の多様性が限られているからこそ、人間の自我が持つ共通性の重要な要因になっている。フロイト的に言うと、「自我形成には、人類共通に「口唇期」の母親の体験が重要である」となる。

フロイトはこの体験が決して受身的なものでないことを見抜いており、これを「対象備給」と呼んだ(第78回)。すなわち、乳児が目の前の対象に注意を払うことが、欲動にドライブされる能動的な過程であることをこの特殊な言葉で表現した。この力動を欲動というより本能といった方がいいかもしれない。乳児期にだけ「口唇追いかけ反射」とよばれる母親の乳房を探す反射が存在するが、これも能動的に体験を求める一つの駆動力になっている。

実際この外界への能動性が乳児の特徴と考えられている。まだ視力が完全でなく物の区別がつかない3−4ヶ月までに、正常の赤ちゃんは必ず相手の顔をじっと見つめるようになるし、動く物体を追いかける。また、音がする方向に顔を向ける。このように、視覚が発達する時期までに、能動的に体験を積み重ね、最終的には家族とそれ以外を見分けることができるようになっている。フロイト的には、この過程こそが母親、父親と、自分の関係を理解し整理し、母親への欲動の抑制などが始まる重要な時期になるが、今回は議論せず先に進む。

図1は、米国疾病予防管理センターが、乳児の発達異常を発見するために公表しているチェックリストだが、もし乳児が音に反応せず、動くものを見つめず、笑わず、口に指を持って行かないならすぐに医師に相談せよと強い口調で警告している。もちろん自閉症スペクトラムが診断の対象ではないが、能動的に体験を求める行動が見られないことは、自閉症スペクトラムを含む、発達障害が強く疑われることを示している。

図1:米国疾病予防管理センターから出ている、発達障害早期発見のためのチェックリスト。

診療現場では、社会性の欠損、反復行動、そして言語の発達障害が自閉症スペクトラムの最も重要な診断基準になっている。図2は、Autism Speaksと呼ばれる自閉症スペクトラムの患者さんのために活動している団体のサイトから転載した表で、自閉症スペクトラムでみられる主要な症状、および関連する疾患が描かれている。

図2:自閉症最大の患者さん支援団体Autism Speaksが示している自閉症の主要症状と、他の様々な異常との関係を描いた図。
出典:http://www.autismspeaks.ca/about-autism/signs-and-symptoms/

この表から自閉症スペクトラムがいかに一筋縄でいは扱えない、多様な状態の集まりであるかがわかるだろう。特定の遺伝子変異に起因する一部の症例を除くと、自閉症の表現形はほとんど個性と言ってもいいほど多様だ。事実、最近急速に進展しているゲノム研究では、自閉症スペクトラムと関連する遺伝子はすでに100を超え、特定の遺伝子だけで説明することは難しい。しかし、早期発見のための乳児の症状チェックリストをよく読むと、自閉症の背景には能動的に新たな体験を求める衝動の低下があるように私には思える。すなわち、他人の顔を伺い、心を読もうとする衝動を形成する脳回路が最初から低下している。事実、多くの研究は、自閉症スペクトラムの人は脳回路の構築が異なっていることを示唆している。例えば、扁桃体に留置した記録電極を用いた研究では、普通多くの神経が目に反応するのに反し、自閉症では口に反応することが明らかにされている。すなわち、自閉症では神経細胞レベルで刺激反応性が異なっていることを示している。

ただ、脳の状態が症状として現れるのは、これらの単一神経レベルの反応が統合された結果で、これを脳科学の言葉で説明するのはまだ簡単でない。例えば、先に挙げた自閉症児で低下している他人の心を読もうとする衝動と能力は、人間特有の性質として研究されているが、その神経科学的本態の理解にはまだまだ研究が必要だ。この能力をmind readingと分かりやすい形で表現することもあるが、心理学や哲学ではこれをTheory of Mind(ToM)と呼び、様々なテストが開発されてきた。中でも自閉症を理解するためのテストとして研究に使われるのが、False-beliefテスト(他人の間違った考えをわかるテスト)だ。

ToMテストの中で最も有名なのが「サリーとアンのテスト」とも呼ばれているテストだ。図3に示すように、このテストでは、2人の女の子が登場する一連の場面を理解させる。

「同じ部屋に、サリーはバスケットを、アンは箱を自分の持ち物をしまう場所として持っている。ある時サリーはアンの眼の前で自分のボールを自分のバスケットにしまう。サリーが去った後、アンはそのボールを自分のボックスに移して部屋を去る。その後サリーがボールで遊ぼうと部屋に帰ってくる。」

この状況を理解させた後、

  1. 1)ボールはどこにあるでしょうか?
  2. 2)サリーはどこにボールがあると思っていますか?

と質問する。

図3:ToMの能力を知るための定番都なっているサリーとアンのテスト。フランス語版Wikipediaの図を改変して示している。

質問に対し、3歳児までは実際に自分で見たことだけが優先され「ボールは箱にある」ことはわかるが、サリーがどう考えるかは理解できていないことが普通だ。しかし4歳児になると、「ボールは実際にはアンの箱の中にあるが、サリーはバスケットの中にあると思っている」ことがわかるようになる。ところが自閉症スペクトラムの子供は、4歳児をすぎても今ボールが箱の中にあることはわかっても、サリーがどう考えているかを理解できない。すなわち、他人の立場で考えようとするモチベーションがない。自閉症スペクトラムの症状は多様で、言語能力も個人により違っているが、自閉症スペクトラムの人に限って調べた研究でも、ToMと言語能力が相関することも明らかになっている。

余談になるが、最近このサリーとアンテストを、類人猿で行った論文がScienceに掲載された(Krupenye et al, Science, 354:110)。詳しくは紹介しないが、京都大学のチンパンジー施設やドイツマックスプランク研究所で行われたビデオを見ると、サリーとアンのテストがそのままサルでも理解できる様改造され利用されているのがわかる
https://www.youtube.com/watch?v=1s0dO_h7q7Q)。

さて、自閉症スペクトラムの児童研究からToMの発達と言語能力の発達が強く相関していることをわかってもらったと思うが、ではなぜこの様な強い相関がToMと言語間に生まれるのだろう。

ToMは、言葉が話せる様になった後に確認できるようになるため、自閉症児でのToMの障害は、言語能力の障害による二次的な結果ではないかという考えがある。もちろん否定はできないが、口唇期に始まる乳児脳の発達過程で体験を求めて外界へ注意を向ける本能や欲動が、自我の形成に大きく関わっていることを考えると、両方の障害はこの発達期に経験を求めて外界を注視する本能・欲動の低下に大きく影響されているのではないかと思える。図2に示した自閉症スペクトラムのもう一つの重要な症状、繰り返し行動も、外界への能動的注視が抑制され続けた結果、変化を嫌うようにったと考えることができる。

個人的な仮説に過ぎないが、もしこの本能・欲動の回路発生段階での形成が自閉症スペクトラムの子供でうまく形成されないとしたら、他人の気持ちを理解するという動機や、言葉を話そうとする動機も失われるだろうし、そもそも変化自体を嫌う性質が前面に出て、繰り返し行動が目立つようになる。こう考えると、自閉症の重要3症状を納得することができないだろうか。

以前人間の行動の動機を支配するのは、結局感情であることについて説明した(http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2017/post_000010.html)。実際、自閉症スペクトラムの成人の多くがアレキシサイミア(失感情症)を併発する確率が高いことが知られている。さらに機能的MRIを用いる研究から、自閉症スペクトラムでは感情のサーキットの一端を担う島皮質の活動が低下していることも示されている。このように能動的に体験を求める本能・欲動の障害を、感情障害の一つの表れと捉えることは可能だ。

しかし一方で、自閉症スペクトラムの人たちは音楽を通した感情の伝達や受容については普通の人と同じかそれ以上であることが多くの研究により明らかにされている。さらに、言葉の障害があっても、歌を通してであれば言葉を話せる例があることも報告されている。音楽も感情の伝達であることを考えると、音楽を介する感情の伝達は、自閉症スペクトラムの感情の表現や理解の障害に関わる島皮質とは異なる領域に支配されていると考えられる。いずれにせよ、音楽を介する感情伝達がほぼ正常であるということは、自閉症スペクトラムでは感情が欠如していると考えるより、感情の表現や受容のための一つの回路の形成がうまくいっていないと考える方が良さそうだ。現在では、この事実を利用して、音楽を介する感情の伝達回路を使って、自閉症スペクトラムの子供と交流し、できればもう一つの回路も回復させられないか、いわゆる音楽療法が盛んに行われている。

少し長くなりすぎたので、今回はここで終わる。次回も言語と社会性の問題について考えるが、まず今回残してしまった、自閉症スペクトラムの逆の症状を示す発達障害、すなわち人懐っこい社交性を持ち、知能に比して高い言語能力を持つWilliams症候群から始めたい。

[ 西川 伸一 ]

進化研究を覗く最新号へ