研究セクターのスタッフが、日常で思ったことや実験の現場の様子を紹介します。
月二回、スタッフが交替で更新しています。
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積んだ本が教えてくれたこと
2016年1月5日
ここに来たときに思っていた最後の一年が終わろうとしています。学生のとき、師走は言葉だけだと思っていたのですが、何かが出来たという実感のないまま日々が過ぎていきます(みんな教えてくれないけれど実は年中師走なのかもしれないと感じることは多々あります)。いつもは、心にとどめておいたことの中から選んでここで書いています。でも今回は、師走のせいか任期の切れる焦りのせいか空っぽで全く浮かばないので、またこの一年も読まずに積み上げた本の一番上にあった「高校生のための文章読本」という本に頼ることにしました。自分は(井伏鱒二やオダサクの)小説が好きなのですが、随筆のほうがずっと好きです。ある時に、「この本を使うみなさんへ」と最初に取り上げられているモーパッサンの文章を立ち読みして、ちゃんと読もうと思いました。そこに、なぜ自分は随筆が好きなのかということの答えが書かれていたからです。物事の捉え方や考え方の好きな作者が「自分の心を自分の言葉で語る」ことで、自分の視点を通した世界の写し方を示してくれているからでした。そして、努力を積み重ねて、ただの「炎や木が、(中略)もはや他のいかなる炎、いかなる木とも似ても似つかない」ように感じさせる言葉を選ぶ訓練をした結果がきれいな文章だということがわかったからでした。この一年は教養とか専門とか独自性という言葉の意味の捉え方が世の中からずれているのかもしれないと、漠然とした不安の輪郭がはっきりするような気持ちになることがありました。ああいう気持ち、こういう気持ちのときに信頼する方々はどうやって表現するだろうということを知ることができると同時に、いつか自分もそうなりたいと感じさせてくれるから随筆が好きなのだと思えました。「自分にしか書けないことをだれが読んでもわかるように書く」というのは研究にも通じるところがあって、研究にかかわる限りいろいろな場面で自分の教養や専門が試されていくのだと思います。大掃除の日が近く、むちゃくちゃの本棚を見ながら、今まさに自分の教養と専門が試されるときが来ていると感じています。
文章中の「」内は『高校生のための文章読本, 2015年, 梅田卓夫ら編, ちくま学芸文庫』から引用しました。