研究セクターのスタッフが、日常で思ったことや実験の現場の様子を紹介します。
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親子でプログラミンング
2015年9月1日
最近子供にプログラミングを教えるのがはやっているようです。ニュースで紹介されているのを時々見ます。この夏休みにもプログラミングを親子で体験できるイベントがあちこちで開かれたのではないでしょうか。ただ、この流行の背景にはプログラムを作る仕組みの進化があるようで、知識がなくてもプログラミングを簡単にスタートできるみたいです。私のスタートはというと、かなり特殊かと思いますが、環境を作ってくれた父親には感謝しています。
私の家は父親が新し物好きで、私が小学生のときパソコンを購入し、子供部屋で使えるようになっていた。父親が仕事に使うために買ったはずのものだが、父親がすぐに使いこなせるわけではなく、子供の遊び道具となっていた。当時、テレビゲームが出始めた頃で、駄菓子屋ではインベーダーゲームもはやっていたが、それらで遊ぶことは許されなかったため、子供部屋のパソコンに唯一ゲームで遊ぶチャンスがあった。
当時、パソコンがあるからすぐにゲームができた訳ではない。パソコン雑誌にBASICで書かれたプログラムがいろいろと掲載されており、面白そうなものを選んで数ページにわたるプログラムを根気よく自分で入力した。たいていはどこかに入力ミスがあってすぐには動かなかった。やっとのことで動くとそれなりに感動した。しかし、ゲームそのものにのめり込むことはなかった。
私がパソコンに慣れると(中学、高校になってから)、父親はこんなことはできないか、あんなことはできないかと、自分の仕事のためにいろいろと無理難題を提案してきた。私が自力でのプログラミングを始めたのはその無理難題に応えるためであった。例えば、キーボードにない外字を入力表示できるようにして、単語のリストを作り、ソートや検索をできるようにした。もちろん、画面上でのスクロールや紙への印刷も可能にしなければならなかった。BASICでは遅かったのでマシン語を一部で使っていた。外字を画面に表示させるためにはグラフィックメモリに直接データを書き込む必要があった。
私のプログラミングは父親の研究の独自性の一部であった。ところが、ある時から外字登録ができる市販ソフトが出てきたため、私に無理難題は来なくなった。
父親の研究が時代をリードしたとは言えないが、プログラミングは独創性を発揮するために必要な基本的スキルであると、私は自分の経験を通して思います。多くの子供たちに独自のものを作って動かす喜びを感じてほしいです。