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ラボ日記

研究セクターのスタッフが、日常で思ったことや実験の現場の様子を紹介します。
月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【カマキリは積雪量を予測していない】

2009年10月1日
(追記:2021年9月1日)

尾崎克久 カマキリはその年の積雪量を予想して、雪に埋もれない高さに産卵するという学説があって、2003年に提唱者によって書かれた書籍がテレビ番組などでも何度も紹介されているため、広く知られている “定説” なんだそうです。この学説の提唱者である酒井 与喜夫氏は、積雪量予測に関する研究で工学博士の学位を取得されているとのこと。何故カマキリが積雪量を予想する必要があるのかというと、「カマキリの卵は雪の重さに耐えられず、窒息状態となって孵化が極めて難しくなる」のだそうです。
 酒井氏は約40年にわたってカマキリによる積雪量予測の研究に取り組んでいらっしゃるそうですが、生物学を学んだ事がある人ならこの根拠はおかしいと感じるのではないでしょうか。雪に埋もれる事が孵化にとって致命的なのであれば、積雪量の予測なんかするまでもなく、絶対に埋もれない高さに卵を産むものが選択されるでしょう。また、雪国に住んでいる方の多くはご存知だと思いますが、寒冷地の気温は氷点下10度以下になる事も珍しくはないのですが、雪中なら0度付近で安定しているので、温度だけを考えたら雪に埋もれた方が安全です。
 僕の恩師である安藤喜一弘前大学名誉教授は、科学的根拠をもって「カマキリの積雪量予測」を否定されました。大学を退官された後は、カマキリを使った研究に取り組んでいらっしゃると聞いていましたが、巷に定着した “定説” と戦っていらしたとは知りませんでした。安藤先生が、弘前市内で約4ヶ月間雪に埋もれていたカマキリの卵嚢47個を採集して、約9,000個の卵の孵化率を調べたところ、約98%の卵が孵化した事から、カマキリの卵が雪に対する耐性を持っている事が明らかになったそうです。また、野外で卵嚢が産み付けられている位置は植物の種類によってまちまちで、しかも、大半が雪に埋もれて越冬しているということを、2007年に学会で報告されました。更に、数ヶ月間カマキリの卵を水に浸しておいても孵化率に影響がない事も確認され、2008年に学会で報告されています。この事から安藤先生は、カマキリが積雪量を予想して、雪に埋もれない高さに産卵するという説は誤りであると結論付けています。つまり、酒井氏の説は科学的実証のない俗説を前提とした単なる “思い込み” で根拠が無く、積雪量を予想していたのはカマキリではなく酒井氏自身であったという事です。
 酒井氏の研究課題はカマキリの生態ではなく、できるだけ正確に積雪量を予想したいという事ですので、カマキリと切り離して取り組むべきであったと思います。雪に埋もれるとカマキリの卵は死んでしまうという風説を、一切の検証を行わずに信じてしまい、それを前提として研究に取り組んだ事は、今となっては間違いです。認めるのは難しいかもしれませんが、先入観として植え付けられた状態から抜け出せなかったのは、若さ故の過ちと言ったところでしょうか (注:安藤先生が否定しているのは、カマキリの積雪量予測であって、酒井氏の業績全てを完全否定しているのではありません)。
 先入観や思い込みというものが、研究活動にとってどれほど大きな障壁となるものなのか、改めて考えさせられる出来事でした。

(追記)
カマキリの積雪量予測を否定された研究について、安藤先生が北隆館から出版された「カマキリに学ぶ」という書籍で詳細に解説されています。さすが!という言葉しか浮かばない緻密な実験に感服しました。コツコツと事実を積み上げていって一つの結論を導き出すという科学の活動が活き活きと感じられます。しかも、現役時代はイナゴを使って研究されていた安藤先生が、大学を退官後にご自宅で行なった研究ですので、科学に大切なのは設備等ではなくアイデアなのだと実感しました。この研究について興味がある方は、ぜひこちらの書籍をお手に取っていただければと思います。
北隆館 SCIENCE WATCH カマキリに学ぶ ISSN: 978-4-8326-0784-2
http://hokuryukan-ns.co.jp/cms/books/最新刊!-science-watch-カマキリに学ぶ/

[昆虫と植物の共進化ラボ 尾崎克久]

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