研究セクターのスタッフが、日常で思ったことや実験の現場の様子を紹介します。
月二回、スタッフが交替で更新しています。
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私事ですが、最近大阪に引っ越しをしました。以前ラボ日記で電車通勤2時間についての話題を書きましたが、おかげ様でこの通勤時間は大幅に短縮されました。さて、これで私は生まれてから今までに一府四県で生活したことになります。いろいろと生活拠点をかえていますが、この中で生活期間の長かった仙台と広島のことについて今回は書かせていただきたいと思います。
仙台は主に学生時代にすごした街です。その頃住んでいたのは格安家賃の古いアパートでした。お風呂も共同で部屋の床は平なところがなく、すぐ隣が線路で電車が通ると建物が揺れるところでしたが、それも住めば都。大家さんはとてもよい人で年に何度かアパートの住人(住んでいたのは学生ばかり)みんなでご馳走していただいたり、また、朝まで友人とお酒を飲みながら語り合ったりした思い出のつまったアパートでした。ちょうど今から一年前、その当時の友人と仙台に行く機会があったので久しぶりにそのアパートのあった場所へ様子を見にいきました。ところが、そこにはアパートどころか建物1つなくなっており駐車場になっていました。その光景に2人とも一瞬言葉を失い、雪の中立ち尽くしてしまいました。
一方、広島はまさに私の生まれ育ったところでです。しかし生まれ育ったその家はダム建設のため約10年前に引っ越しをしたので今はありません。当時住んでいた場所に今は行くことはできませんが、引っ越し後数年間はその場所に行くことができました。その時、人の住んでいない集落はとても寂しく、田畑が次第に荒れていく姿はなんだか悲しい気分だったことを覚えています。
このように広島と仙台、両方の思い出のつまった場所は今ではなくなってしまいました。この事実に直面した当時は「自分の故郷はなくなってしまったなぁ・・・。」と思いました。しかし、月日が経ってみるとそうではないことに気が付きました。それは特に友人と会った時のことです。当時の友人とは現在生活場所が離れていることや忙しさをいいわけにして、今では連絡も年に一度とるかどうかという人が多くいます。でも、その人たちとは久しぶりの再会の時も、まるで毎日会っていたかのような不思議な感覚で話がはずみます。その時「これこそが自分にとって故郷なのかな」と感じます。確かに住んでいた家はなくなってしまいましたが、まだそこにはホッとできる人がいます。友人はもちろん家族や恩師、そして地域の人々など多くの人がそこにはいます。そういう人達がいる限りそこは自分にとっての故郷であることに変わりはないようです。
今度引っ越した町の方々も近所の方々が非常によくしてくださり、自分にとって新たな故郷になりそうです。
[昆虫と植物の共進化ラボ 奨励研究員 中山忠宣]
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