研究セクターのスタッフが、日常で思ったことや実験の現場の様子を紹介します。
月二回、スタッフが交替で更新しています。
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コンピューターというものが社会に浸透し、さまざまな人間の活動がコンピューターやそのネットワークへの依存なしには動かなくなっている。そこに狙ったようにコンピューターウイルスが出現し、しばしば社会を混乱に陥れたりする。私自身はコンピューターに強いわけではないので自分の機械に感染されたらかなりの痛手を受けるだろうと思う。しかしウイルスのニュースを聞くと、少々不謹慎ではあるが、コンピューターウイルスといえどかなりの「ウイルスらしさ」を備えていることに妙に感銘を受けたりもしてしまう。彼らは感染し、増殖し、そして変異もする。人間がそのコンピューターウイルスに対する対応策を立ててもまた新手のウイルスが登場する。どんなに薬を投与してもそれを乗り越える変異ウイルスが現れてくるのと同じようだ。
一方で、被感染者であるコンピューター側も生物の世界を映しているようで、なんだか落ち着かない気持ちになる。それは(マイクロソフトに対して何か特別な気持ちを抱いているわけではないが)多くのコンピューターが同じシステムを使っているということ。ウイルスにとって画一化した相手というのは、非常に「狙いやすい」ものなのだと思う。生物の世界でも、生物集団の遺伝的なバックグラウンドが画一化に向かうと、外敵に対する(環境の変化などに対しても)集団としての抵抗力が下がることが考えられる。通常とは異なる事態になった時に、集団の中にその事態に抵抗性をもつものが含まれているか、つまり集団の中にそれだけの多様性があるかどうかが集団としての生存に関わってくるだろう。いま鳥インフルエンザでニワトリが大量に死に大騒ぎになっている。ニワトリの飼育環境は多くの場合非常に個体密度が高く、ウイルスが蔓延しやすい状況であることが想像できる。しかしそれだけではなく、飼育されているニワトリの遺伝的多様性がおそらく低いことも、事態を悪化させていることに関係しているのではないだろうか。このことに対してなにもデータを持っているわけではないので、全くの考え違いかも知れないけれど。
そしてさらに飛躍して思うのがクローンの問題。人間のクローンを人工的に作り出すことに対しては、倫理的な側面や医学的な側面から議論されることが多い。もちろん私自身もこういう面からいろいろ考えることもある。しかし生物学的に何が問題なのかと考えると、「多様化」とそれに対する「画一化」というベクトルを置いたときに、クローンを作り出すという行為が「画一化」に向いているところにあるのではないだろうか。
[ハエとクモ、そしてヒトの祖先を知ろうラボ 研究員 秋山-小田 康子]
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