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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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完璧でなくても楽しくがふつう

2018年9月18日

「『ふつうのおんなの子』を読み、小さい頃から足に障害があって手術もしたけれど、周囲がふつうに接してくれたのでこれまで楽しく過すことができたのだと気づきました」というメールをいただきました。

本にも書きましたが、私の場合、子どもの時に中耳炎の手術をしたのが大きな事件でした。実は最近年齢のせいで少し聞えが悪くなってきたかなと思い、その時以来初めて耳鼻科に行きました。そこで鼓膜の写真をこれまた初めて見せていただきびっくりです。手術した左側の鼓膜は正常ではないのです。調べていただくと確かに左は右よりも聞えがよくないという数字が出てきます。幸い、これまで日常に大きな支障はなく、ここまで来て少し影響が出てきたという程度ですからまあよかったというのが実感です。私の場合、眼も子どもの頃から裸眼では0.01でしたが、これも眼鏡とコンタクトレンズでなんとか切り抜けました。

ここで思い出しました。大学生の時、耳の悪いお友達と一緒に一番前の席で講義を聞いていたのですが、その日の先生は特別声の小さい方だったのです。彼女が小さな紙片に「聞えないけれどあんまり面白い話をしている風ではないからいいことにするわ」と書いて寄越したので、「その通り」と書いて返しました。先生には申し訳ないのですけれど。講義の後私のノートで説明をして終りです。彼女はとてもすてきな研究者になりました。

どこかに欠けたところがあると困ったことになる場合も少なくないわけですが、完璧はないと考えて、お互い補い合うのが社会というものではないでしょうか。

足が御不自由でも家族や友人のおかげで楽しく暮らせたというお話がいいなあと思って、完璧でないのがふつうと思う気持を書きました。

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