館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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私たちは無力ではないのです
2018年8月15日
八月になると戦争のことを考える機会がふえます。これを書いている今日は八月六日。広島での「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が営まれ、改めて戦争の悲惨さを思いました。七十三年は長い時間であり、体験者が次々亡くなっていきますけれど、その日のことはさまざまな形で発信され続けなければならないでしょう。幸い、人間は生きものの中で唯一想像力を与えられている存在です。体験していなくても、原子爆弾がいかに恐ろしい兵器であるか、更には、それを使わせてしまった戦争という行為がいかにバカバカしいものであるかというところに思いをいたすことはできるはずです。
戦争のない社会への最初の一歩として「核兵器禁止条約」が生れましたが、日本はこれを批准しないどころか署名さえしていません。米国やロシアは小型核兵器を開発して使いやすいようにするとまで言っているのですからわけがわかりません。
私には戦争という行為がどうしても納得できないのです。支配者の思いで始まった戦いの場へ若い人がかり出されて人を殺める行為をさせられるなんてこんな理不尽なことはありません。しかもそのようになった時の社会の雰囲気はイヤーなものです。小さな部族同志の争いをはじめとして人間の歴史は争いの歴史だったという事実から、戦争のない社会などしろうとのたわ言と言われますが、今は二十一世紀です。たくさんの技術をもち、情報が世界中をかけ巡り、AIだロボットだと言う中で、もう戦争はないと考える時が来ていると思います。
広島で小学校六年生が「平和への誓い」を読み上げました。「人間は美しいものをつくることができます。人々を助け、笑顔にすることができます。しかし、恐ろしいものをつくってしまうのも人間です。」「平和をつくることは難しいことではありません。私たちは無力ではないのです。」次の世代を荷う子どもたちの言葉を信じます。
『ふつうのおんなの子』を書いたのはこの子どもたちと同じ気持からです。生命誌を考えている中で、なぜこんな社会になってしまったのだろうと思うことがふえてきました。その気持を書きました。いのちをつなぐという眼で見れば戦争はダメです。