館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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ここまでひどくなっても大丈夫ですか
2018年7月17日
あまりにもびっくりしたので、“ちょっと一言”らしくないなと思いながら、書いてみます。
文科省の科学技術・学術政策局長(今では前です)が大学支援事業の対象校に東京医科大学を選定する代りに子どもの入試の得点を加点して合格できるようにしてもらったという話です。
政治の中心にいる人たちが教育や学問を歪め、「人間として大丈夫なの」と思わせる発言や行為を続け、それを助けるように要職にある官僚が歪んだ行為をする構造にうんざりしているところに起きた事件です。
教育・学問の世界は、権力という力から独立しているもの。もう少しはっきり言えば、権力がはたらくことを嫌う人が教育・学問を仕事として選ぶものというのが常識だったように思います。少なくとも私がこの世界に入った時はそうでした。自分が好きなこと、大事と思うことをいっしょうけんめいやって新しい知を創ったり、その思いを子どもたちにも伝えながら皆が生き生き暮らせる社会への道を考えたり・・・お金や権力とは縁がないけれど、気持よく一生が送れる場でした。
ところが21世紀は、学問も教育も政治や経済の力で動かされることになってしまいました。一つ一つ例をあげるのはバカバカしいのでしませんが、私のように権力とは離れている人間でも実感するのですから、かなり深刻な状況と言えるのではないでしょうか。そんな中でも文科省の人たちは、教育・学問がどうあるのが望ましいかを考え、それに生き甲斐を求めている。なんとなくそこに望みを抱いていましたのに、まず大きな政治の力が働くと官僚社会も歪むことがわかってきたのがこの頃です。そこへそうでなくても自ら不正を行なう人がでてきたのですから、私には世の終りのように見えます。今の世の中、そんなこといくらでもあるよと世間知らずを笑われそうですが、教育・学問には世間知らずのところがあってよいのではないか、むしろそうあって欲しいと思っています。
地震や大雨という自然災害も気になりますが、人間社会が壊れていてはそれへの対処もできないと思い、ここを変えなければいけないという気持を書きました。一人では変えられない無力感にさいなまれながら。