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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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メチャクチャな言葉は恐い

2017年6月1日

生命誌が大切にしているものはたくさんありますが、その一つに言葉があります。言葉の役割は、見えないものについて考えることを可能にし、しかもその考えていることを他の人と共有して語り合えるようにしていることでしょう。見えないものは、実際にみえているものよりもはるかにたくさんあるわけで、どのような見えない世界を持っているかがその人のありようをきめていると言ってもよいと思います。

「見えない」という言葉にもたくさんの意味があります。生命誌の場合、眼の前にいるチョウやクモを見ていながら、実はいつも現実には見えていない細胞やDNAについて考えている・・・感覚としてはそれを見ているというところがあります。私たちは直接研究してはいませんが、その延長上には「こころ」もあります。細胞やDNAの場合、実体はあるけれども肉眼では見えないという「見えない」ですが、「こころ」は顕微鏡を使っても分析しても見えてはきません。けれども、生きものを見ている以上「こころ」を考えないではいられません。

どれだけ豊かな世界を持てるか。それを語る言葉をどれだけ豊かにできるか。言葉を使って仲間と語り合い、自分の世界をどれだけ広げられるか。これが学問をする者の勝負どころでしょう。社会の中に学問がある本当の意味はここにあると思います(役に立つという言葉を使うなら、これが役に立つだと思うのです)。

それにしても、最近言葉を大切にして下さいとお願いしたい場面があまりにも多過ぎます。とくに国会など、さまざまな世界をもつ人たちが話し合って暮らしやすい社会を作っていくのがお仕事のはずのところで、メチャクチャな言葉が使われているのがふしぎです。しかもそれをおかしいと思わなくなっているのがとても恐いことです。

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