館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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“和える”だけではちょっとと思い
2017年1月16日
生きているってどういうことだろう。それを知るにはもちろん生きものを調べる必要があります。けれどもその時、生きものという「モノ」にだけ眼を向けるのでなく、それが生きている「コト」を見なければいけない。そう考えて、私たちは動詞で考えることを続けてきました。変わる、めぐる、ゆらぐなどなど、毎年テーマにしてきた動詞を並べると「生きていること」の特徴が浮びあがります。
そして今年。昨年末に皆で考えました。あれこれ面白い案が出されたのですが、実はその数ヶ月前から頭にこびりついている言葉があってどうしてもそれが離れてくれません。「和」です。なごむ、やわらぐ、あえるという動詞になります。中でも気になっているのがあえるです。白和えは、ほうれん草、しめじ、にんじんなどをゴマをすりこんだお豆腐であえます。一つ一つの素材の味が生きながら一つのまとまった味わいがあります。これに対してサラダは、トマト、キュウリ、レタスなどにドレッシングをかけていただきますが、結局トマトはトマト、キュウリはキュウリとして味わい白和えのような一体感はありません。日本の文化は白和え文化であり、今これが求められているのではないかと思うのです。アメリカはサラダボウルに例えられますね。なごむ、やわらぐも大事です。吃緊のテーマとしては「平和」があり、それを政治・経済からだけでなく文化としても見ることが必要です。「和」という文字のもつさまざまな面を生かしてなごむ、やわらぐ、あえるという動詞で考える年にしよう。皆も同意してくれたので(譲ってくれたというのが正しいのでしょうが)、今年はこれで行こうと思います。
「和」について思うところを書きこんでいただき、少しでもこの方向に進む道が探れるようにと願っています。よろしくお願いいたします。