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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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「創世記」を読む

2016年3月15日

川出由己さんの思い出を書いています。京都大学ウィルス研の所長をなさった大先輩ですので、本当は川出先生とお呼びしなければいけないのでしょうが、ずっと川出さんでした。私が先輩として接したのは東大の渡辺格研究室で、ここでは先生を使わなかったのです。

お会いしたのは1959年です。その2年前、水島三一郎先生の物理化学の授業で、初めてDNAの二重らせん構造を教えていただきびっくり。それまでベンゼン環がいくつかつながった構造で驚いていたのに、突然二重らせん構造ですからびっくりして当然です。どんな研究ができるのかなどまったくわかるはずもなく、なんだか面白そうと思っただけなのですが、幸い、日本で分子生物学を始められた渡辺格先生の研究室があったので、入れていただいたという次第です(申し訳ありません。当時は大学院入試などという面倒なものはありませんでした)。

緊張して渡辺先生とお呼びすると、返事をして下さいません。周りの人に「格さん」って言わなきゃダメなんだよと教えられ、以来大先生を格さん。亡くなるまで「格さん」でした。当時、「格さん」は「核酸」の「拡散」研究をしていらした。共同研究者が川出さんでした。

その川出さんも昨年亡くなり、思い出の文を書くことになったのです。そこで最初の論文を見たら「分析用超遠心機による沈降定数の測定」渡辺格、川出由己、水島三一郎(1952)日本化學雑誌で、DNAとタバコモザイクウィルスの測定をしています。ワトソン・クリックの二重らせんモデルの論文が1953年ですから、それより前です。超遠心機はお手製で、その過程の説明図があります。「創世記」を読んでいるようでドキドキしました。雑誌は船便で送られてくる時代ですし、DNAという言葉を知っている人さえほとんどなく、研究者仲間でも分子生物学なんて聞いたこともない人が多かった中での研究は大変だったでしょうけれど、楽しかったろうなと思います。

そういう時の仲間っていいですよね。ちょっと遅れてその仲間に入れていただいた頃のことを思い出して、学問ってこういう時が一番よいのかもしれないなどと思っています。

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