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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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老哲学者平和を語る

2015年7月15日

やったあ。イマヌエル・カントの著書を読み終えました。「デカンショ節」なんて最近の若い人には通じないのでしょうか。「デカンショ、デカンショで半年暮らす・・・」。デカルトとカントとショウペンハウエルは悩ましい。でもこれを通過しなければ一人前とは言えないという気持でしょう。もっともこの後の歌詞は「あとの半年ゃ、寝て暮らす」ですが。本来、旧制高校で歌われていたものですが、私が大学生になった頃には、まだ駒場寮という旧制の香りを残す場もあり、みんな少し背伸びをして哲学なるものに挑んでいました。私は難しいことは苦手なので、生化学の輪読に逃げていましたけれど。後にデカルトの「方法序説」は読まないわけにはいかなくなりましたが、相変わらず他は避けてきました。

そして今カントです。しかも昨日の帰りの電車で読み始め、今朝の出勤の電車で読み終えました。タイトルは「永遠平和のために」。小型版90ページですし、誰にも読めるようにととてもわかりやすい言葉にして下さった(池内紀訳)ので読了です。最後は「永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課せられた使命である」で締めくくられています。紹介しようと思うとすべて書き写したくなる言葉ばかり、小さな本ですし、今きっと図書館にあるはずですから読んで下さい。国会で使われている「平和」という言葉のおかしさがはっきりします。安倍首相はもちろん、すべての大臣・議員に今すぐ読んで欲しいと思います。とにかく明快です。210年前にこれだけのことを言っていたとは。71歳です。

補説に秘密事項、それは一つだけとあります。「戦争にそなえて武装している国は、大いなる平和の可能性に向けての哲学者の言葉に耳を傾けなくてはならないということ。国家権力の代理人である法律家よりも哲学者に優位を認めよというのではない。たまには哲学者のいうことに耳を傾けよというだけのこと」。私も時々こんな気持になります。たまには科学者のいうことに耳を傾けて下さいと思うのです。ユーモアいっぱいで楽しい本です。

引用しないと言いましたが一つだけ。「殺したり、殺されたりするための用に人をあてるのは、人間を単なる機械あるいは道具として他人(国家)の手にゆだねることであって、人格にもとづく人間性の権利と一致しない。」

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