館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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始まる前からの強力応援団 — 団まりなさん
2014年4月15日
落ちこんでいます。「生命誌絵巻」をつくる時、とことんつき合って、たくさんのことを教えて下さった団まりなさんが急逝なさったのです。私の年齢になりますと、まず親や先生を失ない、だんだん先輩・友人が亡くなる寂しさを体験しないわけにはいきません。
仕事を通して本当にいろいろな方にお会いする機会を持ち、そのほとんどが何度でも親しくお話をしたいと思う方でした。ただ、人の中へどんどん入っていくのがとても苦手な性格なものですから、少し引いた形でのおつき合いになってしまい、いらっしゃらなくなってから、もっと積極的にすればよかったと後悔するのが常です。団まりなさんはちょっと特別の仲間でしたが、それでも同じ後悔があります。20周年に描いた「生命誌マンダラ」は階層性。絵巻に始まりマンダラへという流れは、まさに彼女とじっくり話し合いたい内容です。3月1日にほんの短い時間だけ話をし、「近いうちに必ず館山に行ってゆっくりした時間を御一緒に」と約束したのに、それができなくなってしまいました。
「生きものは決して分子レベルでは理解できない。生命の最少単位は細胞だ。われわれにできることで細胞にできないことはない。逆に細胞にできないことはわれわれにできるはずがない」と言って、「細胞には生きるという意思がある」と明言する団さん。「意思」という言葉に抵抗する人が少なくないものですから頑なまでに主張します。「分子で細胞は理解できない」というまりなさんの気持は共有します。ただ、DNAを「ゲノム」という塊で見ると、それが切り口になって、細胞はもちろん、個体も種も見えるので、切り口としての「ゲノム」には注目したいというのが「生命誌」の考え方です。階層を貫くみごとさは生かさなければいけない。ここをきちんと話し合うことが今年度の仕事始めだと考えていました。
それができなくなるなどとは思いもしませんでした。「自然は想定外だらけ」と頭ではわかっていますが、この思いがけない別れには落ちこむ他ありません。
館山にある、まりなさんが午前中デスクワーク、午後田畑、夜はジャムづくりという理想的な生活をしていた場で、これまでのお礼を言った時、これからも応援するわよという声が聞こえました。それに期待します。