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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【素直のつもりでへそ曲がり?】

2011.7.1 

中村桂子館長
 自分で言うのもなんですが、まあ素直な方だと思っています。子どもの頃から、親や先生に反発して突っ張ることもなく、別の言い方をするならのんびり過ごしてきました。ただ、それとどう関わるのか自分でもわからないのですが、「マイノリティ指向」があるのも確かなのです。たとえば、一極集中を見せつけている今の東京という街がどうしても好きになれません。立ち並ぶビルの間に、子どもの頃お買い物に行った乾物屋さんが一軒残っているのを発見してホッとすることもありますが、街はどんどん大きくなるにつれて味わいを失なっています。
 これでいいのかなと思っていたら、ソニーの研究所でアイボ(例のイヌロボットです)の開発に携わったF・カプラン(フランス人)の「日本人と機械のふしぎな関係」を書いた本にこうありました。「いつも驚かされるのは、街が美しくないことだ。そう断言して間違いないだろう。街の中心を高速道路が縦横無尽に走り、電柱が堂々と醜態をさらしている。そして、建物は論理なく雑多で、そこに過去を読み取ろうとしても無駄だ。日本人は細部にこだわる国民と言われるが、都市のこのような混乱やどうしようもない醜さを気にかけていないようだ」。ただし、彼はすぐに「困ったことに、このような醜さにもかかわらず、この街には愛すべきところがある」と書いています。日本も日本人もよく知っており、日本が好きなのです。ここで私は、外国の人はこう言っていると持ち上げようとか、自虐を楽しもうとかしているのではありません。なぜもっと美しい街をつくろうとしないのかなといつも思っているのですが、スカイツリーはすばらしいという話にはなっても、カプランの言う「過去を読み取れるような街づくり」などと言う話はなかなか聞いてもらえません。「そう断言する」と言われると、そこまではと思いながらも、そういう見方もありますよねとうなづくのです。
 実は「マイノリティ」について考えたのは、「エネルギーに関する議論」を聞いていてのことでしたのに、街の話にずれてしまいました。エネルギー供給をどうするか。原子力発電なんてとんでもない。危険なうえにコストもかかるのだからとなってきました。ついこの間までは、話はすべてCO2に帰せられ、CO2を出すことが悪だったのですが、それはあまり話題にならなくなりました。そして再生エネルギー利用が大勢です。「生命誌」を基本に置けば、答は再生エネルギーと出るわけですが、この間まではこれはマイノリティでした。里山でのバイオチップ利用の活動がなかなか受け入れられず苦労している様子を見て、なぜわかってもらえないのかなと思いながら、小さな応援をしてきたというのが実情です。
 ところが、再生エネルギーのかけ声が突如大きくなった途端に、今までの難しかったことが思い出され、一緒に大きな声を出すよりもちょっとはずれて考えるという癖が出てしまいます。太陽電池は効率も上がってきましたし活用は重要です。でもそれをつくるのにもエネルギーが必要で、きちんとロードマップは描けているのかしらとか。それより何より、基本は「自然を生かす街づくり」をして、日常の中で自然のエネルギーを生かす社会にしなければ再生エネルギー構想は無意味なのに、エネルギーはエネルギーだけで考えているのは違うんじゃないかなとか。とくに、農地を使う大型発電には、従来型の社会を引きずった強引さが感じられます。
 へそ曲がりではないつもり(素直と書きました)ですが、大声になるとちょっと待てよと思う性質があることは間違いないようです。自然は多様で、地域性があって、面倒なものという気持が、大声で一つの方向へ進むことに抵抗させるのでしょう。自然を生かすには、自分が自然の一部だというところから始めなければ。これが生命誌の基本ですので、この線で考えていきたいと思います。そして、エネルギーをムダにしない美しい街の国にしたいと思います。

 【中村桂子】


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