館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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【湯川秀樹先生のラストメッセージ】
2007.2.1
時代は変り、今では学者という言葉も消えつゝあるような感じで、これでいいのかなあと思います。昨年末、NHKで「ラストメッセージ」というシリーズの一つに湯川先生が登場されました。“核なき世界を”というテーマです。外向きの性格ではなく研究が好きな先生が核兵器廃絶運動を始められたのは、1954年の第五福竜丸の被爆がきっかけとのことです。1955年には、科学界のリーダーの一人としてアインシュタイン=ラッセル宣言(核廃棄を訴えるもの)に署名、1957年から開かれたパグウォッシュ会議でも活躍されます。これには朝永先生も参加していらっしゃいます。冷戦の時代、核抑止論を根拠に米ソ核開発競争の続く中、御自身の学問を基盤にして、核兵器は人類と共存なし得るものではないという信念を抱かれ、「核廃絶の道は必ず存在する。それを探る人間の叡智を」と訴え続ける湯川先生。晩年がんに侵される中で訴えられるお姿には、強烈なメッセージがこめられていて映像を見るだけで胸が潰れる思いでした。でも実社会は何も動かなかったどころか、状況は悪化していくのですから辛くなります。「科学者の社会的責任」。この言葉がとても重く響きました。昨今よく聞かれる説明責任などとはまったく重みが違います。責任という言葉は、このような時にこそ使うものなのです。サイエンス・コミュニケーション、アカウンタビリティ。カタカナ言葉で言われ、やや流行にもなっているように見える社会との関わり方を見直さなければいけないと思わせる強いラストメッセージでした。 【中村桂子】 ※「ちょっと一言」へのご希望や意見等は、こちらまでお寄せ下さい。 |