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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【ひらめきの瞬間】

2007.1.15 

中村桂子館長
 お正月休みに宇宙の本を読み始め、ていねいな説明につられて本当はわかっていないのだけれど、なんだかとても本質的なものに触れているという喜びを味わいながら1/3まで来たと書きました。さてその後どうなったか(そろそろ挫折かなと思われているでしょうね)。
 年末の間は、おせち作り、庭掃除などなど。今年の重点作業は食品棚の徹底整理でした。奥の方の缶詰やびん詰を出してみると賞味期限が切れていたり。ここで、内容を大丈夫と確認し、いかに利用するかを考える。期限だけで捨てるなどということは決してしない「世代」です。ジャムはリンゴと一緒に煮てパイに入れるとか。箱でいただいたリンゴもそろそろだったので合わせて新しい味です。まあこんなことをやってお休みの日は過ぎていき・・・そこで本の方は1/2より少し先へ進んだかなというところです(言い訳をしますと、年末も若い人たちが頑張って仕事を進めているので、それへの対応もあり、実は休日にはならないのです。朝メールを開く。これで仕事ができるのは便利ですが、便利すぎでもありますね。よいのか悪いのか)。
 ところで本の内容ですが。実はこのあたりは、サスキンド先生の専門の「ひも理論」。もちろん・・・と威張ることではありませんが、ちゃんとはわかりません。でも、ひもを発見した時の話はとても面白かった。引用します。

 『答えに手が届きそうで届かず、どうしてもわからないのは本当にじれったい。私は量子力学的な振動系のあらゆる種類を試してみて、ヴェネツィアーノの公式に一致するかどうか調べてみた。私はおもりとバネという簡単なモデルから、ヴェネツィアーノの公式に非常に似ていると思われる公式をつくり出すことができた。しかし、それらは完全に一致しているわけではなかった。その時期、私は家の屋根裏で仕事をしていて、長い時間ひとりで過ごしていた。私はほとんど姿を見せず、出てくる時はいらいらしていた。私は妻に向かって怒鳴り、子どもたちをほっぽらかしにした。夕食を食べる間さえ公式のことを忘れることができなかった。だが、そのうちどういうわけか、ある晩、屋根裏で「ひらめきの瞬間」が訪れた。何がそのアイデアの引き金となったのか、私にはわからない。私は一分ほどの間バネを見つめた。すると、弾性を持ったひもが二つのクォークの間に伸び、さまざまな振動パターンで揺れるところを思い描くことができた。すぐさま、数学的なバネを、振動するひもの連続的な物質に置き換えればうまくいくと気づいた。実際には、私の頭にひらめいたのはひもという言葉ではない。私はゴムひものようだと思った。つまり、輪ゴムを切って、二つの端のある弾性を持ったひもにする。その両端にクォーク、より正確には一方の端にクォークをもう一方の端に反クォークを私は思い描いた。
 私は、すぐさまノートでその考えを確かめる計算をいくつかした。だがすでに、それがうまくいくとわかっていた。その簡潔さは驚くばかりだった。ヴェネツィアーノのS行列公式は、二つの衝突する「ゴムひも」を正確に記述していた。私はなぜもっと早くそれを思いつかなかったのかわからなかった。新しい発見の興奮は何ものにもたとえられない。それは、もっとも偉大な物理学者にも、そうは起こらない。独りでこうつぶやく。「ここにいる私しか、この惑星でこれを知っている者はいない。すぐに、世界中のほかの人々も知るだろう。だが、今この瞬間は、私だけが知っている」。私は若くて無名だったが、栄光を夢見ていた。』

 ここで面白いのは、「弾性を持ったひもが二つのクォークの間に伸び、さまざまな振動パターンで揺れるところを思い描くことができた」ということです。クォークなんて見えるはずのないもの、でも考えに考えている人には見えるのですね。DNAだってそうです。見えます。物理のものすごく難しい話なので本当にわかってはいないのですが、ゴムひもが揺れると言われると一緒にイメージできるような気がします。そして大きな喜びが伝わってきます。ひも理論と並べるなんてとんでもないことですが、ジャムが上手に活用できてちょっと美味しいものができ、戸棚がすっきりした。こんな小さな工夫だって喜び。身の丈に合った喜びが毎日を支えてくれるのだと思います。
 実はこの後に、「しかし思いついたのは私だけではなかった。ほぼ同じ頃にシカゴの物理学者が同じ計算をして・・・」と続くのです。これも面白い。科学では、複数の人が同時に新しい発見をするということが少なくありません。独創が大事なことは確かですが、やはり発見もそれまでの積み重ねの上にあるものであり、時期が熟すということがあるのでしょう。ところで、この時同じ事を考えていたのが南部陽一郎先生だったとあり、すばらしい!と拍手しました。
 だんだん難しくなってきて、挫折寸前ですが、・・・もう少し続けてみます。


 【中村桂子】


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