館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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【新聞とラジオとテレビ】
2006.10.2
ところで、そこでとても切り口鮮やかにイラクやレバノンの問題を解説してくれる記者が、先日ラジオ番組のコメンテーターとして出演していました。期待して聞いていたのですが、なんだかあたりさわりのないコメントが多く、がっかりという結果になりました。自民党総裁選の話の次には子どもの虐待の話が出てくるという具合に、次々と出てくるさまざまな話題に対応しなければなりませんし、一度公の場で発言したことはとり戻すわけにはいきませんから慎重にならざるを得ないのでしょう。これがテレビのコメンテーターだったら、もっと気をつけなければならない(もっとも、極端な立場を売り物にするという人もいるようですが、それはそれでまた問題です)。 文章で書く時には、じっくり考え、一度書いたものも読み直して手を入れることが出来ます(思いつきで書いているこのコラムでもやはり手を入れます)。でもラジオやテレビではそうはいきません。もちろん録音・編集である程度の操作はできますが書くときのようには行かないのは当然です。メディアとしての性質が異なるわけですが、実は、多くの人に届くのはテレビからのメッセージです。本は数万部売れればすごい!と言われますが、テレビは百万人の人が見ても視聴率としては1%以下ですから、その番組は×がつけられてしまうというくらいの差があります。 深く考えたもののやりとりではなく、あたりさわりのない言葉や、時には押しつけがましい短い言葉での発言が世の中の動きをきめてしまうことになるのが現代なのかもしれません。昨日小学校で理科を教えている先生(女性)がいらして、子どもたちがゆっくり考える時間がないのが気になると言っていらっしゃいました。「今日は考えよう」と意図的にやってみると、皆面白がるとのこと。教育改革は是非この方向にしていただきたいものです。 あたりまえのことですが、たまたま注目していた新聞記者のコメンテーターとしての発言という具体例でそのことを強く実感し、気になっています。 【中村桂子】 ※「ちょっと一言」へのご希望や意見等は、こちらまでお寄せ下さい。 |