館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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出がけに時計を腕につけようとしたら針が止まっていました。電池が切れたのです。その日はたまたま公式な場で正確に20分間話をする役割を与えられていましたので、時計なしで出かけるわけには行かず、ちょっと慌てました。他の時計は、文字盤が細かいところまでは見にくいなど、その日の仕事には合わないのです。そこで以前JRの方からいただいた駅長さん用の懐中時計をポケットに入れてなんとか切り抜けましたが、なんだかある日パタッと動かなくなる時計が嫌になってしまいました。そういえば、以前の時計は手巻きだったんですよね。毎日自分で巻くことで動く時計。「今は手巻きはぜいたく品だよ。」家人に言われましたが、研究館の前にある時計屋さんに相談してみました。いやあ今は手巻きは。家人と同じ反応です。電池切れがいやならソーラー電池がありますよと出してくれましたが、とても機械っぽくて−時計が機械なのはあたりまえ。そういえばデカルトが機械として考えたのは時計でした。機械っぽくてがおかしければメカニカル(これも同じことですね)な感じがいやで(その時はそれがいやだったのです)買う気がしませんでした。そうしたら「実は30年ほど前からずーっとしまってあるのがあって」。そう言って4個手巻き時計を出してきてくれました。男物で3つはあまりにも大きすぎましたが、1つは長方形でローマ数字。大きさもまあまあ。たくさんある中でこのデザインを選ぶかどうかは分かりませんが、今はこれしかない。思い切ってそれに決めました。「一晩かけて徹底的にお掃除をし、油をさし、バンドも新しくしときました。値段もちょっとサービスしましょう。」まだ10日ほどですが、毎朝、ネジを巻くのを楽しみにしています。
ところでこの時計。秒針が一まわりする間に分針が一目盛りの間をスーッと滑らかにゆっくりと動いていくのです。一分毎に、カチッカチッと針が動く時計ばかり見ていたので、この滑らかな動きが嬉しくて、一日に何回もこれを眺めています。時間がとてもていねいにやさしく過ぎていく感じがして気持がよいのです。アナログっていいなあ。改めて実感しています。
【中村桂子】
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