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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【八月に思う─「生命の樹」と「明日の神話」】

2006.8.15 

中村桂子館長
 新聞やテレビで報道されていたのでご存知の方も多いと思うのですが、先日、岡本太郎作の壁画(5.5m×30m)「明日の神話」が修復披露されました。私もこの修復作業の応援団(太郎の船団)の一人なので、早速見てきました。この壁画の話を岡本敏子さん(残念ながら亡くなってしまいました。もっともっと話がしたかったのに本当に残念です)から伺った時はびっくりしました。製作されたのは1970年、場所はメキシコです。お気づきでしょうか。これは大阪で万博が開かれた年であり、岡本太郎は、日本であの太陽の塔を作っていたのです。今も残るあの塔は、過去、現在、未来を表現していますが、あの中に「生命の樹」が入っていたことはあまり知られていません。今はもう残っていないのだそうで、とても残念ですが、太古の海から生れた生命がさまざまな姿を実現していく生命の樹が、過去、現在、未来をつなぐものとして作られたのです。「あの時太郎が考えていたのはまさに生命誌だと思うのよ」。敏子さんはそう語ってくれました。その時点で生命の樹を構想し、あの塔の中に多様な生きものを関係づけて置いた、その時代を見る眼、そして本質を見る眼に驚きます。本当に鋭い人だったのだと改めて思いました。しかも、それと同時にメキシコへ足繁く通って「明日の神話」を描いていたというのですから、これも驚きです。当時、大きなホテル建設を計画していた事業家からの依頼で作成したこの壁画。残念ながらこのホテルは完成せず、壁画は行方不明。絶対に探し出すのだという敏子さんの執念で、屋根もないような倉庫に放置されていたものが発見され、日本に送られてきたのです(敏子さんは、日本に送り出したという知らせを聞き、大喜びなさったのですが、搬送のためメキシコに行っていらした方たちの帰国の日に急死という思いがけないことになりました)。
 この壁画の中心に描かれているのは、原爆を受けた骸骨。画面左に向かってはそこから生れてくる原爆の子どもたち。画面の右の方には第五福龍丸。火の海に包まれた人々も描かれていますが、全体はなぜか明るいのです。「明日の神話」という言葉にこめられた思いがひしひしと伝わってきます。今は八月。科学の世界にいる者としては、原子爆弾の開発、しかもそれを多くの人々の日常がある街に落としてしまったということの重みを再確認する時です。1970年という時点では、過ちをくり返さないというだけではなく、乗り越えてよりよい暮らしを作ることにつなげなければならないという気持がありました。実は大阪万博はそういう決心でもあったのです。でもその頃すでに環境問題が起きていました。科学技術にとっては、原爆以上に深刻な問題だと言ってもよいかもしれません。だからこそ明るく考えたい。この壁画のもつ明るさが語りたいことを思う時、それは私の思いと重なります。
 21世紀になって「生命の樹」と「明日の神話」について考えると、1970年にこの二つを創り出した気持を人々が共有し、大事にしてくれば、今とは違う明るい社会ができていたのかもしれないのにと、少し落ち込みます。以前、敏子さんに「私の中で、あなたと太郎が重なるのよ。よく似ている。」と言われ、それまで岡本太郎という人をそれほどよく知らなかった私は、ただキョトンとするばかりでしたが、今になると、言われたことの意味が少しわかります。「生命の樹」と「明日の神話」。創られてから36年、どちらも大事にされずにきてしまいましたが、今からでも遅くありません。生命誌はこれを受け継いで行こうと思います。
 
 
 【中村桂子】


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