館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。
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【来年もよろしくお願いします】
2005.12.15
今年印象に残ったのは、第一線の研究者が生命誌の活動に関心を寄せてくれたことです。生命科学研究は、大型プロジェクトや、競争で象徴され、産業と結びつく成果で評価される方向へ進みました。もちろん研究の多くが公の資金でなされているのですし、役立つ成果は必要です。ただ、“役立つ”の中味が問題です。 生命科学というからには当然のことながら“生きる”ことに向き合わなければならないはずです。そうすれば、今の社会の仕組みが“生きる”ことを大切にしていないことに気づきます。そして、ただ薬を作ればよいというものではない、医療技術を用意すればよいというものではないということに気づくはずです。健康は大事ですが、今の健康ブームは、テレビで○○でダイエットができると言うとスーパーマーケットからその商品が消えるという類のことが多く、浅薄の感を拭えません。そのような風潮の中で“社会のニーズにこたえることが最も大事です”ということでよいのだろうか。専門家であれば、こう考えて当然でしょう。いかにも社会のことを考えているように見えるけれど実は、真剣に考えていないから、安易にニーズなどと言っている人が多いのがとても気になります。でもそういう人ばかりではない。どこかおかしいと感じ始めている人も増え、そういう仲間が生命誌に期待を寄せてくれるのはありがたいことです。 もう一つ。ゲノム研究が進んで、予想よりはるかに遺伝子の数が少なく、RNAの役割が浮き彫りになるなど、生命現象は機械論、要素還元論では理解できそうもないことがわかってきたことも多くの研究者が新しいアプローチを必要とすると感じ始めた理由の一つでしょう。 生命誌は、生きるということに向き合って、社会のことをこれからの学問のことを考えてきたので、一歩先を歩いてきたと自負を持っています。でも、小さな組織ですから、大きな流れがこちらを向いてくると、それに飲み込まれて、本質を見せることが難しくなる危険もあります。BRHらしさを大事にすることがますます必要になってきたと心を引き締めています。生きものっておかしなものですから、黒白で割り切ろうとすると、スルリと逃げてしまいます。グレーっぽいところがあるのが“生きる”ということ。そこから喜びも悲しみも(灯台守でなくとも喜びも悲しみもあります・・・というこの註、若い人には通じないかもしれませんね)生れるわけですから、複雑さから逃げるわけにはいきません。ということは、答はなかなか出ないわけで、来年もまたやることはたくさんありそうです。 やけに堅苦しくなってしまいました。ちょっと風邪気味なので、今日はこれでベッドに潜り込むことにします。一年間ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。よいお年を。 【中村桂子】 ※「ちょっと一言」へのご希望や意見等は、こちらまでお寄せ下さい。 |