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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【ちょっと一言】

2005.5.2 

中村桂子館長
 4月1日付の<ちょっと一言>に「DNAをコトとして見る」と書いたことに対して、農業高校の先生からとても嬉しい反応をいただきました。ホームページのご意見欄に書きこんで下さったのですが、公開の場の書きこみでないので、ここで内容をかいつまんで御紹介し、それへのお返事を書きます。
 トンボが大好きな先生は、日本のトンボたちの系統が知りたくて、DNA解析で系統樹を描く研究をしたとあります。実はこの研究は、研究館でなさったのです。研究館の初仕事としてオサムシの系統研究を始めた頃は、日本の生命科学研究の中では昆虫は端の端に追いやられていました。分子生物学会にも隠れ虫好き仲間の会はあり、踏み絵とまでは行きませんでしたが、あまり公けにするのははばかられるという雰囲気に充ちていたのを思い出します。
 研究館でのオサムシ研究からおもしろい成果が出てからは、一気に昆虫が表に出てきました。さまざまな昆虫について、DNAを用いた研究をしたいという方たちが、研究館で技術習得するところから始まり、以来科学館や博物館でのその種の研究は通常のこととなってきました。一方、昆虫採集が趣味であることを声高く公表する大学の先生方も登場し、世の中変ってきています。多様性が大切な生物学ですから、多様性の権化のような昆虫が対象に入ってくるのは当然。生命誌の“誌”は博物誌の“誌”と同じですから社会の中に生命誌の流れができてきたと言ってもよいかなと思っています。
 けれども、これではもう一つ不足で、昆虫たちが自然界で生きている状況に眼を向けることが大事です。
 実は「DNAをコトとして見る」についてのメッセージには、「農業高校に勤務しているうちに、トンボの系統を知るだけでなく、田んぼからたくさんのアカネが羽化する姿を考えるようになった」とありました。田んぼはもちろん、イネという単一の作物を育てる場ですが、それだけでなく、トンボたちを含む多様な生きものたちの生息の場でもあるわけです。作物を育てるという産業の視点と、生きものたちが生きるという自然の視点。農業の始まりは、人間による環境破壊の始まりだとも言われますが、このように言ってしまったのでは元も子もありません。自然や環境という言葉の意味をどのように捉えるかということは難しいところがあります。DNAを通じて生きものの歴史と関係を知った今、それを踏まえたうえで、多様な生きものが織りなす生物界を美しいと思うこと。自然を考えるにしても、環境として捉えるにしても、基本はそこに置くことになるのだろうと思います。そのうえで産業としての農業を組み立てていくことに知恵をはたらかせなければなりません。
 話はややとびますが、先日久しぶりにテニスを楽しんだ時、私たちくらいの年齢になると、ハードのコートは辛くてクレイがありがたいのだけれど、若い人たちが足が汚れると言って嫌うので(しかも手入れが面倒)どんどん消えているという話が出ました。そういう話を聞くと、上に述べたようなところに美しさを感じ、知恵を働かせるという考え方を若い人たちに伝えるのはなかなか難しいなあと思います。
 ただ、私の場合、DNA(ゲノム)に関して多くを学んだからこそ自然の価値がより大きく見えてきたという実感があるものですから、価値観は大人になってからでも変えられると思っています。
 投稿に刺激されてあれこれ書きましたが、またいろいろなお考えを書きこんでいただけるとありがたく思います(林先生、もしよろしかったら御投稿をBBSに転載させて下さい)。
 
 
 【中村桂子】


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